JJ 2018年9月号

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ミーハーなことがしたくなった。
そもそも本屋には毎回立ち寄るが、化粧品の本ではなく、パズルの本を探していたし、あまり雑誌コーナーには立ち寄らない。

なのに、書店の美容コーナーの河北メイクの本が気になりだし、いやいや、こういう本は今はいいけど、来年は本の中身の化粧品だって流行りじゃなくなってるかもしれないじゃん?
と自分につっこんでいた。

ならば、より最新のメイク本を買おう。さっきから気になる河北さんの最新本は?

→検索→

JJがヒット。しかもニキビやシミを隠す2wayのブラシが付録とある。
店をぐるぐるして迷った挙げ句、少し読者の年齢層とは違うが購入してみることにした。

雑誌を丹念に読み込むのは懐かしい。中身のモデルは皆キラキラしてる。

何だか楽しい気分のまま、河北メイク特集へ。
眉の書き方、ニキビやシミの隠し方、目元の良い塩梅のメイク方法、クマの隠し方、などフムフムと思いながら読む。わたしはメイクが得意な方ではないので、これを読んでやってみたいと感じた。

河北さんの紹介するメイクツールや化粧品、まさに今どきのもので旬だ。
ブランドモノは流石に買えないけど、プチプラコスメなら買えるかも?
と思ったのが運のつき。

さて、わたしの手持ちの化粧品だが、必要最低限しか持っていない。去年メイクアップレッスンに行き、そこで仕入れた知識のもと、コフレドールのOR118のオレンジが似合うと思って買ったのと、資生堂のオレンジベースのチークを買ったのみ。
アイシャドウは2016年頃に買ったexcel のものがあるし、アイラインもマスカラもほぼ使わない一本ずつ持っていた。

プチプラメイクコスメ探しは宝探しみたいで面白かった。近くのココカラファインや雑貨屋で物色すると

・ラブライナーリキッドバーカンディブラウン
(限定キティ柄)

・ケイト スモーキーラウンドアイズBR6
メイベリン ラッシュニスタ
・キスミーフェルム紅筆リキッドルージュ07
・オペラ リップティント01
キャンメイク パウダーチークスPW40
(黄色チーク)
・エデュセ クイックケアコート
(爪保護の透明マニュキア)
・Kパレットラスティングチップオンアイブロウパウダー02

が見つかり全て購入してみることに。
次の日の月曜日の朝、新しいメイク用品でメイクするの、わくわくした。

月曜日の会社帰り。今度は京都駅周辺のコクミンドラッグで買い物。

・ヴィセ リシェ ジェミリッジアイズPK6
・インテグレート水ジェリークラッシュ(資生堂の下地)
を買った。

火曜日の朝。これもメイクが楽しかった。そして火曜日の会社帰り。今度はPLAZAとSHOPinへ行き、
ガリの口紅とパウダー型日焼け止めを購入、フローフシの38℃グロスまで購入した。

ああ、いいカモだな、と我ながら思う。
しかし楽しいからよし。そして今まで使っていた全ての化粧品は、開封してほぼ1年が経っていた。こちらは思い切って断捨離。今どきの化粧品を存分に使うのは楽しいと思い始めた。

義母と娘のブルース 下

上巻の方が好きだった。
下巻は、高校生になった娘のみゆきちゃんと、元バリバリのキャリアウーマンだった、あきこさんとの親(義母)と子の物語。

みゆきちゃんは高校生になり恋愛をし始め、元バリキャリのあきこさんは、角のパン屋でアルバイトを始める。
アルバイトの面接に行ったのに、パン屋の店長から国税局の抜き打ち調査と間違われてたのがおかしかったな。あきこさんはスーツで元大企業の部長のオーラだからね。

履歴書を見て店長もびっくり。うちではもて余すと言って一旦不採用になるが、のちに採用。
パンの名前から原価、値段、そして由来まで覚えるあきこさん。

元ヤンキーのパン屋の店長は次第に一回りも年上のあきこさんに恋心を抱くようになる。
それを見ていた、みゆきちゃんの恋人ヒロキくんは応援することにする。

といった内容だった。最後がびっくりした。こんな終わりかたもあるんだね。

義母と娘のブルース 上

昨日ネットサーフィンをしていたら、偶然広告に上がり、無料立ち読みしたら面白くて続きが気になり本日買った本。四コマ漫画ですぐ読めた。
会社員であるわたしは、くすっと笑える内容が多かった。
主婦の井戸端会議も、PTAの会議も、義娘の子育ても、全て大企業の女部長のキャラとして乗りきる主人公のあきこさん。
噂好きのおばちゃんも振り回すし、PTAのボスキャラの女性も倒してしまう。

事前準備の抜かりなさで有利に持っていき、他の企業の重役たちからも一目おかれる存在、なのに結婚して会社を辞めて、再婚相手の連れ子小学生相手には四苦八苦。
そして家事はドヘタ。
小学生の女の子も、このあきこさんには中々心を開かないが、徐々に打ち解けていき・・・。


小学生のキャラ弁日経平均株価柄になってるところや、家が格言や目標などのポスターが貼られまるで会社のようになっていたところも面白い。
言葉遣いも「善処します」といったような感じでまるでサラリーマン。
そこに突っ込みまくる12才の連れ子の女の子。
続きが気になるので下巻も買ってしまった。

今、ドラマがやってるみたいなので、それも見てみようか。

絶海の孤島

絶海の孤島 増補改訂版 (驚愕の日本が、そこにある)

絶海の孤島 増補改訂版 (驚愕の日本が、そこにある)

『深夜航路』と平行して読んでいた本。似たテーマで、違う切り口で複数の本を読んでいると対象がより具体的に見えてくるから面白い。

この『絶海の孤島』では
対馬青ヶ島、鵜来島、舳倉島、江島、硫黄島、悪石島、大東島(北大東島南大東島)、父島と母島
を巡った様子が書かれている。

対馬やフェリーとしまの飛び石航路の様子が正に『深夜航路』とかぶるところだが、この『絶海の孤島』の筆者はより「島の様子」や「人の暮らし」に焦点を当てて記載があるのが面白い。

まずは対馬
厳原に降り立った著者はハングルの多さに面食らうが、そこからバスで二時間先の比田勝では、更に韓国人旅行客やハングルの多さに辟易としてしまう。釜山から一時間で行けてしまう対馬は韓国人の格好の観光の場所だ。最初は面食らった筆者だが、対馬の居酒屋のマスターやたこ焼きのお姉さんといった人たちが実は韓国人で、マスターとは二人で飲みに行ったりもした。その様子が人間味あふれる感じだった。

青ヶ島
わたしも行ってみたい島だ。筆者は天候に左右され還住丸の欠航も相次ぎ、ヘリも予定通りには飛ばず、帰れなかった。初めて知ったことは青ヶ島には青酎というお酒があるが、ラベルも瓶も同じなのに住む人や作る人によりプライドがあり微妙に違うこと。筆者は同じだと思い売店で買ったものを宿へ持ち込むと宿の店主に怒鳴られて店主の機嫌を悪くしてしまった。この店主はあまりの怒りに宿泊費を三千円アップ。筆者はこの店主がいないと島の足が無くなるため渋々従う。

鵜来島
おばあちゃん、おじいちゃんが元気な島。島を降りると鋭い眼光のご婦人方が階段に座りこちらを穴が開くほど見つめてくる。その階段を通らないと島には入れないためビビりながらも島に入る筆者の様子がおかしかった。ただ区長さんの心配りがわかる島人へのメッセージや、島民大体の人が筆者のお昼ごはんを心配する様子が良かった。宿は2件あるが満室なので日帰り。

舳倉島
石川県輪島に行ったことがあるので少しだけ親近感。筆者も輪島から舳倉島へ。ここの島民は挨拶しても無視する人が多かったり猫可愛いですね、と言っただけなのに、怖いと叫ぶおばちゃんなど歓迎ムードと対極にあった。また船から来る島への訪問者はバードウォッチングを主とした人々か、釣りを楽しみに来た人々かのどちらかで、宿でも筆者はどちらにも入れず寂しい思いをした。島民は玄関に物干し竿をつっかえ棒にして「私有地 入るな!」と書きなぐっていた。島民は挨拶しても返ってはこない。きっと今まで来た訪問者のマナーが良くないときがあったのだろう。
しかし若い研修医と若い医者の二人に筆者は助けられた。会話ができた。この島特有のヌカカに刺され腕に痒みが走ったが、本州の医者では分からずこの二人に連絡しその知識のおかげで治ったそうだ。

硫黄島
写真がすごい。温泉の影響で本当に海が赤い。

江島
筆者が本当に何もなかったので書きようもないといって無理矢理旅行記を書いた島。わたしも読んだはずなのに殆ど覚えていない。

大東島
南大東島
住人も1000人以上は居て
ラテンのノリで楽しい島。メインストリートにはスナックや居酒屋が軒を連ね夜な夜な楽しく過ごしている。週末には島民同士の何らかのイベントがやっており筆者もゴルフ大会とビンゴ大会に参加した。これはこの島の吹奏楽部が強いのに那覇まで行ったり宿泊したりするのにお金がいるためで、参加費が遠征費になるそう。筆者たちは大いに盛り上がる。また大東名物かえるせんべいにも遭遇。これは大東には蛇がいないのでヒキガエルやかえるが繁殖しそれが車にひかれ放題で干からびてそのままのもの。

北大東島
商店もポツンポツンとあるのみ。凄く静かな島。というのもリン鉱石で栄えて一島丸ごと同僚が住む町みたいなものだからだ。上司や先輩がすぐ身近となれば下手なことは言えず無口になったのでは、というのが筆者の見解。とはいえ、リンは戦前頃には衰退し代わりに製糖工場ができた。この島の一人あたりの所得は沖縄でトップだが島の人は言う。もし子どもが出来たら高校から那覇だと。那覇まで行き来するための費用、那覇で暮らすための費用、とバカにはならず、そのため島民は2つも3つも仕事を掛け持ちし、なんとか支えているということだ。

悪石島
フェリーとしまの飛び石航路の様子が面白かった。
飛び石航路で著者が乗った船は特別だった。臥蛇島へ再接近する船で昔臥蛇島に住んでいた臥蛇会の方々と乗り合わせ。その様子が良かったのと、飛び石航路のうちの平島で大歓迎の太鼓の演奏が見られたのと温泉が良かったのと。面白かった。
おじさんたちが悪に丸がついたマークのヘルメットを株って作業していたのも、面白い。

臥蛇島の他の本の記事
http://minako614i37milkyway.hatenadiary.jp/entry/2018/03/27/235254

父島と母島
行くのに、東京から1000キロは離れており、船で25時間かかる。初めて知ったが日本人だが金髪で目の青い欧米系の人々も昔交わり、その子孫もいるので人種豊かだそう。小笠原諸島に属するが沖ノ鳥島へも1000キロ近くかかる。父島では美味しい新鮮なお寿司を食べることができ、母島ではひたすらのんびりできた、とこの本にはあった。

深夜航路

深夜航路: 午前0時からはじまる船旅

深夜航路: 午前0時からはじまる船旅

面白くて一気に読んだ。

同じ著者が書いた、「秘島図鑑」も面白かったが、それを読んでからこれを読むとより面白いと思う。

深夜0時以降に出発する船、というのを切り口に日本で運行する深夜便を取材した本。船や待合室の様子、客層から船の経営状況まで、幅広く著者の興味の赴くままに書かれている。

著者の独自の視点、が興味をひく。

2016年12月24日
青森→函館  午前2時4分発 津軽海峡フェリー
ブルーマーメイド
船に乗り込むのはトラックばかり。
2014年に就航した新しい船で船内は明るく美しい。
著者は深夜航路に乗ったあと、その先を少し旅するが、この回は函館山の海側の「何も無さ」をあばきにいく。夜に灯ひとつない海側が気になり訪ねてみると、60年前までは寒川という小さな集落があり、絶壁の麓にペタッと張り付くような集落だった。海がシケると山側の迂回路を通るが、ロッククライミングに近く転落死した人も。ノミと金づちで掘られた小径もあり、洞窟には危険な吊り橋もあり海がシケると、そのまま波にさらわれた人も。
もう吊り橋は無いので寒川集落跡へはいけない。
といった内容だった。
何だか著者と一緒に探検している気分になった。

2017年6月下旬
大洗→苫小牧 午前1時45分発
さんふらわあ しれとこ

さんふらわあ、なので太陽マークがでかでかと描かれている。さんふらわあ しれとこは船室の回りに回廊のようなデッキが設けられている。展望ラウンジもある。船室はトラックドライバーが大半。深夜便はトラックやコンテナの輸送が大半なのでレストランは営業しておらず等級もほぼ2等のみ。なので乗客は皆平等という大衆感が船内に滲み出るとのこと。ホールには自販機、電子レンジ、給湯設備も整い、白米のパックを食べる人、豆腐一パックを食べる人など、自宅?と突っ込みたくなる光景だそう。
その先の旅で著者は苫小牧から室蘭へ。全国の大半の水族館が近代化してしまった中、古きよき水族館の様相の市立室蘭水族館へ行くために。
水族館の箇所は興味があまりないため飛ばすが、室蘭には室蘭港があり、2008年以降使われなくなったフェリーターミナルがある。しかし2018年6月より室蘭港に新たな航路が誕生する。
室蘭~宮古だ。10時間で結ぶ。これは初めて知ったがトラックドライバーの労働条件に、仕事が終わってから次の仕事までに八時間以上の休息時間が必要とのこと。ドライバーが途中でフェリーに乗る場合、フェリーの乗船時間は休息時間になるという。
ドライバーにとって、使い勝手のよい航路になるらしい。

2017年8月上旬
敦賀苫小牧東港 0時30分発
すずらん

深夜航路の中でも船内設備が突出している。
お風呂は、大浴場、サウナ、露天風呂があり、エントランスは吹き抜けでレストランも充実、アミューズメント施設、カフェ、プロムナード、サロンもあり、イスやソファも沢山置かれている。2等船室でも相部屋にベッドが備えられている。普段はトラックとコンテナ輸送がメインだが、このときは夏の繁忙期なので、乗用車も多く船に乗り込んだ。20時間の航路となるため行楽客でも最後の方は無口になっていく様子が書かれていた。

2017年1月1日
和歌山→徳島 午前2時40分発
南海フェリー かつらぎ

今でも残る鉄道連絡船。ただし和歌山側のみ。しかも深夜は終電は終わっている。
この日の徒歩客は5名ほど。10台ほどの乗用車も積み込まれた。深夜便の椅子席はガラガラで仮眠の取れるカーペット席には客がまばらに。著者は徳島についたあと、吉野川水系に残る渡し船、今切川の県営長原渡船へ。

2017年5月下旬
神戸→小豆島 午前1時発
ジャンボフェリー りつりん2

深夜航路で徒歩客で賑わうのはこの航路だけではないか、と著者が書く。コンテナが船に積み込まれていくのと同時に週末を高松や小豆島で過ごすレジャー客も多い。300名ほど乗り、熱気ムンムンで雑然とした船内。立ち食いうどんをすする沢山の人、デッキで缶ビールを飲む沢山の人。つい深夜であることを忘れてしまう。
著者は小豆島に着いたあと、土庄町小江の小さな渡し船を体験しにいく。小江集落と沖之島を結ぶもので1、2分で着くし、渡し守さんがささっと気軽に渡してくれる。階段などの高低差となく歩くような感覚で使える船だ。しかし橋を架けようという計画もある。そうなると今のような便利さでは渡れない。橋の下を船が通れるよう階段も出来るだろうし架かる場所まで歩かなくてはいけないし。それから費用も土庄負担で5億とあり反対の声もあるそうだ。

2017年6月末
神戸→新居浜 午前1時10分発
オレンジフェリー おれんじホープ

深夜航路の中で徒歩客を想定していない航路。コンテナを降ろす作業が急ピッチで進み、トレーラーがひっきりなしに行き交う
フェリーターミナル前は船に一切近づけない。トレーラーが行き交い危険なのか徒歩客は旅客送迎車に乗せられ船に乗船する。船室フロアまでいくと静謐な雰囲気。船は隅々まで美しく清掃されておりそれぞれドアが設けられた個室だ。広々とした浴場があり、サウナも。夜のレストランも営業。メニューは豊富で価格も手頃。
著者は新居浜についたあと、新居大島へ向かう小さな航路へ。

2017年7月上旬
直島→宇野 0時15分発
四国汽船 アートバード

短距離深夜航路。今やアートの島として知られる直島。真夜中にアートを見ると違ったように見えてくる。客は20人ほど。釣り師もいるがその他大勢は交代勤務の三菱さん、とのこと。三交代勤務のため深夜航路があるらしい。直島宮浦発のこの便には勤務を終えた20代~30代の従業員たちが乗る。
著者はこのあと五人宗谷(ごにんぞわい)へ。この伝説の話は初めて知ったが怖い話だ。五人宗谷の岩は海面すれすれに頭を出す。

2017年4月下旬
柳井→松山 午前1時発
周防大島松山フェリー しらきさん

徒歩客は三名のみ。やはりトラック輸送がメイン。船室はひじ掛けのない三人用の座席、カーペット席がある。三人が三人用座席に散らばる。
船は直接松山に行かず周防大島伊保田に立ち寄るとあったが今回は誰も乗り降りしなかったので直接松山へ。折り返し便となり、今度は伊保田へも立ち寄る。著者は伊保田に朝4時半すぎにつき、その後情島陸奥記念館へ。情島情島小中学校は2017年3月末に休校となったばかりだった。情島のおばあさんの話が印象的
都会はお金を使うばかりで他にやることない。島は気楽。野菜だって、つくりたいからつくっている。

2017年5月下旬
徳山→竹田津 午前2時発
周防灘フェリー ニューくにさき

徒歩客は二名のみ。
ガラガラの船室は雑魚寝タイプのカーペット席でもイス席でもどこでも寝放題。著者は国東半島南部のカブトガニを見に行く旅へ
香港では昔、食用としてカブトガニが売られていたという。著者は今回交尾するカブトガニのつがいがわずかな砂地で見ることができた。


2017年5月ゴールデンウィーク
臼杵八幡浜 0時55分発
宇和島運輸 さくら
大分県愛媛県を結ぶ航路は便数が多い。この日はゴールデンウィーク中でもあるため、トラックの他に乗用車も多い。しかし徒歩客は三名のみ。雑魚寝タイプのカーペット席はゆったりと空いている。
八幡浜へ着くと待合室へ。しかし待合室のイスはひじ掛けがあるので横にはなれなかった。
著者は八幡浜から小さな航路を利用し大島へ。八幡浜大島は総称で、粟ノ小島、大島、三王島、地大島、貝付小島が数珠繋ぎで粟ノ小島以外は繋がっている。砂州で繋がるところもある。

2017年7月
宿毛→佐伯 0時半発
宿毛フェリー ニューあしずり

船首の車両甲板から乗り込むが乗用車もトラックもない。船員さんから
「夜の海に吸い込まれないでよ」
と言われる。
それもそのはず、今夜の船は著者一人だけ。貸し切りだ。徒歩客が一人だけ、というのではなくトラックと乗用車も乗らない。
一人だけ、の旅。
カーペット席も勿論誰もいない。
貸毛布は100円を入れてコインロッカーのように取り出す。
一人だけなので落ち着かなくなり自販機でカップ麺を食べたり喫煙所で一服したりしたそうだ。
著者は水ノ子島の灯台の光を見たかった。水ノ子島は周囲300メートルしかない。午前2時半の海は辺り一面漆黒の闇。そこに照らされる力強い光。

著者は佐伯に着いたあと、水ノ子島へ漁船を借りて実際に上陸する。1986年までは海保職員二人が一週間交代で寝泊まりしていたというが、灯台以外は何もない島の生活というのはどんなものだったのだろうか。自由に歩き回れない島で。

2017年5月下旬
博多→対馬 午前1時発
壱岐対馬フェリー みかさ

別の本で孤島としての対馬のページを読んだばかりだったので、その視点とは違う視点からの対馬の様子が面白かった。タクシーで迷った著者は本来とは違う航路へ。イス席で良ければ空いてるとのことだったが、キャンセルが出てベッドがあてがわれた。
イス席が多くあるのに予約でいっぱいというのも、旅客定員を12名に限定し貨物船として運行するため。12名だけなので少し大きめベッドはゆったり配置。船内設備はシャワールームも無ければカップ麺の自販機も無し。飲料の自販機のみがある。
著者は対馬の厳原に着いたあと、バスで二時間かけて比田勝へ。韓国南部の釜山と比田勝は高速船が頻繁に発着し一時間で行けてしまう。韓国人旅行者が目立つ。
さて、著者は比田勝から出る博多行きの航路に乗る。韓国とは裏腹に国内便は比田勝からは一日一便しかない。この航路に乗る目的は、沖ノ鳥島を拝むため。この日は奇しくも5月27日。一年に一度だけ沖ノ島の上陸が許されている日。しかも来年2018年は世界遺産になっているだろうからこの日すらなくなる、本当に最後の日。女人禁制の島。
この沖ノ島島を一番間近で見られる航路に著者は乗った。同じ著者が書いた秘島図鑑にもこの島のことが載る。

『秘島図鑑』
http://minako614i37milkyway.hatenadiary.jp/entry/2018/03/27/235254

『絶海の孤島』にも対馬の記載があった。
http://minako614i37milkyway.hatenadiary.jp/entry/2018/07/28/155440

2017年9月上旬
鹿児島→桜島 午前2時半発
桜島フェリー

このフェリー、1984年から24時間運行している。鹿児島と桜島間は15分。船内うどん屋「やぶ金」も勿論24時間営業。1階と2階は車両甲板、3階は船室、4階がデッキ席で外観は高層マンションのよう。徒歩客は10名、乗用車、トラックは合わせて10台。一日70往復もする船。救急搬送や桜島の噴火、地震のとき用、救難船の役割も担う。やぶ金は一日二人交代らしい。
著者はこのあと無人島定期航路で新島へ。新島は無人なのに定期航路がある。2013年に最後の二世帯三人が離れて無人に。しかし定期航路があるので朽ち果ててはいない。帰りの船で船長に色々聞いても答えが返ってはこない。船長は島人が減っていく姿、無人になる姿、住む人がいないが運行する船、内心複雑なのかもしれない。

2017年9月上旬
奄美大島→鹿児島 午前2時発
フェリーとしま

この航路も他の本でも読んでいた最中で、この深夜航路と共に読むことで、この航路がより分かり色々な角度から知ることができた。

奄美大島2:00→宝島5:05→小宝島5:45→悪石島7:10→平島8:20→諏訪之瀬島9:15→中之島10:30→口之島11:30→鹿児島18:50

奄美大島の名瀬では前日の18時から乗船できる。出航の8時間前に乗れるのは寛大だ。
著者は夜20時半に乗船。100円で5分使えるシャワーで体を洗い、自販機のカップ麺を食べる。2等のカーペット席で毛布にくるまる。
乗客は40~50名ほど。電気工事やインフラ工事の作業員の方々。
船は一階は案内所やカーペットの2等
二階は1等 相部屋の2等
三階はレストランや売店
四階は操舵室、ヘリコプター離発着可能なデッキ

この回では光害について言及していた。わたしも以前「星の地図館」という本のDVDで世界の夜の光輝き具合を見てたからわかる。トカラ列島の航路は夜の本当の暗さがよく分かり星が沢山見えるそうだ。
夜が明けると飛び石航路だ。各島での出会いと別れが船上で眺められる。宝島後方からは人の暮らした記録はない横当島と、上ノ根島が見える。同じ著者の秘島図鑑に詳しく書いてある。平島から諏訪ノ瀬島に行くときに臥蛇島小臥蛇島が見える。
実は別の本で大接近した様子を読んでいた。
清水氏が書いたこの本には、最後まで島に残った三世帯14名と小学校教諭の2名が最後の船に乗り込んだ、とあった。臥蛇島では移住反対の中心的存在だった家族が昭和四十四年に突如県外へ移住し残された島民に衝撃が走り、そこから移住話が加速、一年後には皆、島を離れたとあった。
一人一人が島では存在感が凄いと改めて思う。

『秘島図鑑』
http://minako614i37milkyway.hatenadiary.jp/entry/2018/03/27/235254

『絶海の孤島』より
http://minako614i37milkyway.hatenadiary.jp/entry/2018/07/28/155440

さて、以上14の深夜航路が書かれていて大変面白かった。地図もあり位置関係など分かりやすかった。所要時間の記載も勿論ある。著者は東京で働いているようで休みを見つけては日本のあちこちへ行く様子が伺える。東京で夕方に仕事を終えたあと新幹線で関西へ、とか九州へとか凄い。そこから深夜航路を行く船に乗るのだから凄い。そして独自の視点からの旅行記、読みごたえがあった。

ルネサンスの世渡り術

ルネサンスの世渡り術

ルネサンスの世渡り術

この本、面白かった。ジュンク堂の壁に何冊も飾られていたときから、気になっていた本だった。

この世渡り術、現代に通じるものも沢山ある。何より作者がとても楽しげに本書を書き上げた気がしてならない。

世界史好き、美術も面白いと思っている、フィレンツェもローマも実際に行ったことがある、今仕事で世渡りする必要が多少はある、というわたしからの視点で見てみると、成る程な~と思うことと、この人やこのエピソードが面白いな~と思うことがあった。
それから、作者が描く漫画チックな描写が好き。マニアックなところも。

第一章 公共事業コンペはニーズが命。

→この話は自分独自の視点で造形面で冒険した者より、より少ないブロンズで表現した者が大規模注文を手にした様子が書かれている。確かに同じ作品ならより少ないブロンズで見事な表現をする者に軍配があがる。

第二章 自己プロデュースを極める

→長生きしていたとみられるティツィアーノ。お金の話と長生きでそれを利用したのとサバをよんで年上に見せかけていたという。この章の冒頭の漫画のティツィアーノのタッチが好きだ。この時代、テレビはないはず、と突っ込みたくなる。

第三章 有利な舞台は自分で作る

→ティントレットの策、見事としかいえない。天井画の素描を募集し、それを見て天井画を任せる人物を選ぼうとしてたのに、素描は出さず、天井画を高速で完成させプレゼントしてしまった。そして、壁画も任されることに。強行突破にアッパレと言いたくなった。

第四章 独りよがりは失敗のもと

第五章 著作権侵害からの炎上商法
 
→この時代、著作権という認識はなく、模倣してもよい世界。ただし、作者は自分の印を書き入れたので、それで模倣かどうか分かっていた。しかし、この印までマネする奴がいた!
裁判になるが・・・。
模倣した方は、あの芸術家に裁判を起こさせるほどの人物として話題や注目を集めることに。

第六章 万能人の自己PR

→多芸多才と言われる、レオナルド・ダ・ビンチの就活の様子を書いた章。そのダ・ビンチでもフィレンツェで上手くいかず、ミラノ国のトップに仕えることにする。ここでは、成る程な、こうしたら就活は上手くいくかもな、と思わせる内容がたくさん載っている。ただし、才能がふんだんにあれば、だが。
わたしはこのレオナルド・ダ・ビンチ、とても賢く就活を良いように進めていくので会ってみたいと思ってしまった。
まずは相手の懐に入るため、相手の欲している能力があるとピンポイントで見せかける。そして、注目してもらうきっかけにする。(レオナルド・ダ・ビンチの場合は、当時軍事的な知識をかなり欲していたミラノ国のトップに対し、軍事的な知識があると見せかけた)
そして、おっ
と思ってもらった。
実際に面接の段になると、珍しい献上商品を持っていき、(レオナルド・ダ・ビンチの場合はバイオリンに似た馬の頭蓋骨をあしらった珍しいリュート)それで惹き付ける。すると、その楽器を演奏してくれという運びになる。
才能豊かなダ・ビンチの演奏は宮廷音楽家たちを驚かせ、まずは音楽家として宮廷に入り込むことになった。
どの時代でも、どの国でも、
いかにインパクトの強い面接にするか結構大事なんだと思えた。

第七章 根回しは相手を考えて

ミケランジェロダビデ像をどこに置くかで会議が開かれていたのが面白い。時はメディチ家が追放された直後で、この会議に作者のミケランジェロが呼ばれていない。

第八章 損失が損失を生むスパイラル

メディチ家メディチ銀行は2年毎にフィレンツェへ報告にいく義務がある。ブルージュ支店長ターニも例外ではない。しかし、この出張中に信頼していた部下、ポルティーニにブルージュ支店長の座を奪われてしまった!さて、どうなる?

第九章 モンスター注文主の対処法

→この冒頭の漫画を見てこの本の購入を決めた。
イザベラ妃は長い文章、細かい注文により分厚い絵の指示書を自ら依頼した画家に提示した。あまりにも細かすぎて画家の創造性を奪うほど。漫画では画家が、そこまで決めとんのやったら自分で描けや!と内心怒っているのが面白い。そしてやる気の無くした画家vs何としても絵を描かせたいイザベラ妃という構図も。

第十章 敵の敵を味方につける

→巨匠と呼ばれるミケランジェロでもラファエロという新人に嫉妬していたようだ。というのも、ラファエロは色彩が見事で知識人たちからチヤホヤされまくっていたからだ。彩色があまり得意ではないミケランジェロは自分の強みの素描に、独自手法で彩色をし、また得意とするセバスティアーノと手を組むことにした。これが大ウケ。このラファエロvsミケランジェロ+セバスティアーノが面白い。

第十一章 捨てる神あれば拾う神あり

→工夫に満ちて独創的な豪華なものを作っても納得しない君主もいる。しかし、その君主に連れられて行った先の王に、一旦ボツになった自分の試作品を見てもらえる機会がおとずれる。一目見て作品を気にいった王は、すぐに正式に作るよう、依頼した。

第十二章 お祭りには便乗すべし

メディチ家の家の印象を良くするために、家を買いそこに飾る絵を工夫し、皆が憧れる三博士に自らを重ね合わせて印象付けていくとは、やはりこの時代も印象が左右する面があったのね、と思ってしまう。

世界の新常識

じっくり、ゆっくり読んできた本。ついに完読した。世界の各都市の成り立ち、歴史、現在の様子が池上氏が訪れたときの経験も絡めて書いてある。
その様子が面白かった。下記、わたしが行ったことある都市についての感想と、池上氏や他の本からの知識で面白かったことや感想も含めて記載していく。


アジア

ソウル→板門店が気になる
台北→三回行ったが、確かに初めてなのに懐かしかった。美味しい料理と体がとろけるかのようなマッサージが良かった。北投温泉も雰囲気だけ味わった。

北京→1ヶ月暮らしたことがある。古きよき中国、というのを感じた。反日感情はあまり感じなかった。新聞新聞、と言いながら配るおじちゃんや胡同、天檀公園や胡宮など。

バリ島→神々の島。行ってみたい。

香港→行ったことがあるが、広東語と英語と中国語が混じる面白い町だった。

ホーチミン
シンガポール→如何にして今のような地位を築いたか、という経緯が面白い。

バンコク→本当は長い名前だそうだ。私も行ったことがあるが、黄色の旗がはためいているのが印象的。

ディンプー→ブータンにもいつか行ってみたい。
公用語は英語だが古くからゾンカ語で国民は民族衣装を着ている。一妻多夫もOK。

カトマンズ→行ったことがあるネパールの都市。インド側から入ったが、インド人の肌の色と雰囲気、ネパール人の肌の色の雰囲気が微妙に違っていた。

ニューデリー→インド。行ったことがあるが、信号などなく、無法のように猛スピードで車が行き交う。雑多な雰囲気だった。わたしの初海外はインドでこの町だった。デリーとニューデリーは繋がっていることもこのとき初めて知った。

中東

ドバイ→空港のみ訪れたことがある。気候はじとっとしていた。日本で真珠の養殖が盛んになるまではこの町が真珠の産地として栄えてたらしい。

テヘラン→イラン。バザールかスークかでアラブかペルシャか分かるらしい。

ベイルート
カイロ


ヨーロッパ・北アフリカ
モスクワ
ニコシアキプロス北キプロスキプロスに分断されてるらしいが、他の本で行き来はしやすいと噂が。

サンクトペテルブルク→世界史で何度か名前が変わった町だと習った。

イスタンブール→行ってみたい町の1つ。ヨーロッパ文化とアジアの文化が交わり面白そう。

ヘルシンキ
アテネ
ブダペスト
ドブロブニク
ウィーン→行ってみたい都市の1つ。クラシック音楽を趣味で演奏しているので、その文化に触れてみたい。

プラハ
ベルリン
ローマ→行ったことがある。広場と、アイスの美味しさが印象的。

バチカン→行ったことがある。天井画に圧倒。イタリアとの間にそびえる壁も高くてすごい。

コペンハーゲンデンマーク。ヒュッゲの本からより詳しくこの国のことを知れた。

ミュンヘンBMWはここか。
チューリヒ
アムステルダム→行ったことがある。アムステルダム一日観光ツアーに応募した。風車と平坦な町並みが印象的。海抜が低く、埋め立てて作ってきたというのが伺える。チーズ農家のチーズ、チューリップ柄のチョコが本当に美味。

ブリュッセル
パリ
ロンドン
マラケシュ→今年、行ってきた。モロッコ。かつては公開処刑場だったこの広場は、現在はアラビアンナイトのような世界を楽しめる。日本でいうところの、蚤の市、フリーマーケット、ガラクタ市の大規模版みたいな感じ。不思議なものが沢山売られている。値はついておらず、店のおじさんと交渉して買う。蛇使いや大道芸人、音楽や太鼓を鳴らす人、とにかく賑やかだ。

レイキャビクアイスランド。行ってみたいところの1つ。大自然あふれるワイルドな見所がたくさん。ブルーラグーンの温泉に入りたいし、プレートがぶつかる場所にも行きたいし間欠泉も見たい。詳しくはこのブログで書いた「アイスランド」という漫画でも。

アメリカ大陸

サンパウロ
ニューヨーク→行ってみたい場所の1つ。東京よりも最先端で洗練されているときくので。

ハバナキューバクラシックカーを大事に使ってきたのと、修理の文化が根付いている。アメリカと国交が無かったが2015年に回復。

ラスベガス→池上氏の体験談が面白い。ホテルの部屋サービス、ドリンク等高くて仕方がないがカジノへ行くとドリンクは無料で振る舞われるそうで、どこを通っても必ずカジノはいくように設計されているらしい。そして池上氏もスロットで当たったそうだ。

サンフランシスコ
バンクーバーバンクーバーの近くのヴィクトリアに行ったが、確かにこの本にあるように白人より中国系の人が多かった。香港の人が返還される前に英国の国籍を取得しようとしたが拒否され、かわりにイギリス連邦のカナダ国籍を取得したようだ。

ホノルル→ハワイ。ハワイも行ってみたい。
天皇家ハワイ王国の娘が結婚しようとしてたとはこの本で初めて知った。