国マニア

国マニア 世界の珍国、奇妙な地域へ! (ちくま文庫)

国マニア 世界の珍国、奇妙な地域へ! (ちくま文庫)

2回買った本。帯にもあるように、この本が教科書だったら授業がもっと楽しかったのに、と思う。
冒頭からクイズを出される。
東アジアの国の数は果たしていくつでしょうか。
日本では日本、韓国、中国、モンゴルの4つだが、実は国により見解は異なる。
韓国、北朝鮮、モンゴル、中国、台湾
それぞれ違う。台湾は東アジアの国は中華民国ただひとつ、としている。

この本では下記の国々が紹介されていた。


小さくても立派な国家

バチカン
バチカンには行ったことがある。イタリアとの国境の高い壁、荷物検査、豪華絢爛な天井など覚えている。この本の中で初めて知ったのは、日本の在バチカン大使館はイタリアにあるということ、バチカンの国籍を持つ人々は殆ど二重国籍ということだった。

モナコ
→昔から知っていた国だが意外にも日本とモナコが国交を結んだのは2006年だということ。それまでは外国とお付き合いするにはフランスの承認が必要だったそうだ。

ナウル
→燐鉱石で栄えたが枯渇。燐鉱石のあるころ、100年近く遊んで暮らし今は糖尿病の人が多いそう。
独立国家に行ってきた、という記事でもこのナウルのことを記載している。

http://minako614i37milkyway.hatenadiary.jp/entry/2017/01/31/235541


ツバル
地球温暖化により沈みつつある国というのは知っている。知らなかったことは、1993年に国旗にあるユニオンジャックを外したことがあったことと、(一年後に復活)沈み行く国なので政府は「全国民の海外移住」を打ち出していること。ツバルのカントリードメイン .tv 使用権をアメリカに売り、沢山の収入を手にすることができた、ということ。

サンマリノ
→イタリア統一のため、統一されなかった世界最古の共和国であること。サンマリノはイタリアの統一を助けたので結果的にイタリアに統一されずに済んだ。

リヒテンシュタイン
リヒテンシュタイン家の公爵が自分の公国を作った。一国一城の主というステータス欲しさに作られた。税金のない国でもある。

マーシャル諸島
→日本が統治していたことがあり、当時は島の実力者(つまりシュウ長)の娘や姉妹と結ばれる日本人が多く、日系も多い。

セントクリストファー・ネイビス
→初めて知ったのはセントクリストファー島とネイビス島だからこの名前の国だということ。本当はセントクリストファー・ネイビス・アンギラとなるはずが、アンギラは植民地の方がいいと逃げ出した。セントクリストファー島に支配されるくらいなら、イギリスに支配されたほうがいい、ということだ。


モルディブ
→人口密度が世界10位。約8割が無人島だから有人島の密度はすごいことに。首都マーレ島はビルや建物がびっしり。無人島はリゾート用。観光客がリゾート以外の島に行くには政府の許可がいる。

マルタ
→マルタはイタリアにも近いしマルタより南のイタリア領ペラジェ諸島もイタリアなので、イタリア人と近い関係かと思うが、違う。マルタ語はセム語族アラビア語に近く遠く離れたレバノン人と意思疏通ができるという。→これに一番驚いた。


国の中で独立するもうひとつの国

アトス山
ギリシャギリシャ正教の聖地。ギリシャの政府の権限が及ばない。ギリシャ本土とアトス山に道路はなくフェンスで隔絶されている。ここに巡礼か観光で来る場合は、ギリシャ外務省で仮入域許可証をもらって船に乗り、アトス山の首都カリエで正式許可がいる。手続きがややこしい。アトス山は女人禁制。女性は船の上からアトス山を眺めるしかない。飼われている牛までもオスだけだ。徹底している。

コソボ
→人口の多数はアルバニア人だが、セルビア人は独立を認めず戦争に。コソボに古くから住んでいたのはアルバニア人だが、セルビア人にとってもコソボセルビア王国発祥の地で聖戦の地。

アラブ首長国連邦
アブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジュマン、ラスアルハイマ、ウンムアルカイワイン、フジャイラの七人の首長に率いられた国々の連合体。石油の出る地域はアブダビとドバイのみ。ドバイは枯渇気味
連邦政府の財源はアブダビが8割。金を出してくれていることだし、とアブダビ首長が主導する体制が定着。

サンジバル
→インド洋に浮かぶ二つの島。タンガニーカとサンジバルが合併し後にタンザニアとなるが、合併しここまで続く国家は珍しい。サンジバルはタンガニーカに比べ人口が少なかったが特産品の丁子の輸出で潤い、1972年にはカラーテレビが。タンガニーカは1990年半ばまでテレビ局が無かった。

グリーンランド
デンマークの領土。最初に定住したのは赤毛のエリック。彼がグリーンランドと名付けた。

プエルトリコ
アメリカ領だが19世紀まではスペインが統治していたのでラテンの雰囲気いっぱい。独立派、自治派、州昇格派の3つの勢力が競いあう。

バミューダ諸島
→世界三位のお金持ち地域。タックスヘイブンとして繁栄しているが地元民からしたら物価地獄。

クック諸島
ニュージーランドが独立してほしがっていた国。島民たちはニュージーランド市民権を手放したくなかった。ニュージーランドドルや世界でも珍しい三角形のコインを使っている。2004年にはハローキティの金貨と銀貨を発行した。

ニウエ
→日本が最近国家として認めた国だが、国としての維持が危ぶまれている。

ブーゲンビル自治
→かつて太平洋戦争で山本五十六が撃墜されたのはこの島。ブーゲンビル自治州は世界三位の銅産出量を誇ったが銅山からの富は殆ど本国のオーストラリアに吸い上げられ、鉱山からの廃水は処理されず垂れ流し。公害だけ撒き散らされていて、怒った島民が爆発。


トゥバ共和国
→何故か台湾が領有権を主張するシベリアの小国。トゥバ人の独特なホーメイ(喉歌)は日本でも注目されている。

クリミア
→ロシアがクリミアに関心を示すのはロシア人が多いからと、地中海に睨みをきかせる黒海艦隊の母港が存在するから。

ユダヤ自治
ユダヤ人の歴史とは縁もゆかりもないシベリアの東の果てに、ソ連政府は国内にユダヤ人の祖国を作った。

香港特別行政区
→行ったことがある。一国二制度。香港から中国へと10分の一の値段で愛人を囲うのが流行り、金曜日の夜の風俗店へ遊びにいく列車は満員で臨時列車も出たとのこと。

チベット自治区
→民族作りに取り組んだ中国。最初は漢、満、蒙、チベットウイグルの五民族だったが、民族識別工作のもと、少数民族を次々発掘していった。漢民族と55の少数民族になった。日本に当てはめると、アイヌ族、琉球族、朝鮮族、漢族、小笠原族、サンカ族、マタギ族、家船族、隠れキリシタン族、久米三十六族、といった感じになる。

ワケあって勝手に独立宣言した国々

沿ドニエストル共和国
ソ連が今も生き続ける国。
モルドバの一部。モルドバ人は民族的にはルーマニア人と同じ。モルドバが独立すると沿ドニエストルも独立宣言するがモルドバは認めない。沿ドニエストルは独自通貨を発行しているが、鎌トンカチが描かれパスポートにはCCCP(ソ連の略称)と印され、ソ連の一員のつもりのようだ。

アブハジア共和国
アブハジアに住むアブハズ人はイスラム教徒

南オセチア共和国
カフカス山脈の南にへばりつく国。

アブハジア南オセチアも、スターリングルジアの勢力を削ぐために自治を色濃くさせた。だが文化面ではアブハズ語にグルジア文字を押し付けたりした。ソ連崩壊後グルジアは独立するが、公用語グルジア語だけにしたのでアブハズ人オセチアのオセット人は猛反発。
その後、アブハジア南オセチアを承認する国は無かったが、ロシア軍が両国のグルジア軍を追い出すと2国もロシアが合併するつもりか、と勘ぐられたため、ロシアは両国を承認した。

ナゴルノ・カラバフ共和国
アルメニア失地回復をめざす場所。アルメニア商人の方がユダヤ人商人より商売上手とも。現在はアゼルバイジャンだが、アルメニア軍が置かれている。アルメニア人が多く住む。

北キプロス・トルコ共和国
キプロス島キプロス北キプロスに分かれている。キプロスギリシャ系住民、北キプロスはトルコ系住民が多い。ビザンティン帝国の復活を夢見たギリシャが欲を出しキプロスも併合しようとした。
ギリシャ正教マカリオス三世が大統領に就任、ギリシャへ併合しようと画策するがトルコ系住民が大反対内線に発展する。マカリオスを車ごと大破させたが、実はマカリオスは生きていた。車に乗っていたのはマカリオスの蝋人形だった。

サハラ・アラブ民主共和国
→モロッコが実効支配している。もともとはスペイン領だったがスペインが領有権を放棄。するとモロッコ人が西サハラへなだれこんだ。
ロッコは今年の始めに行ったことがあるのでどんな感じかわかる。砂漠だらけの土地だ。
西サハラの亡命政府はアルジェリアにある。

ソマリランド共和国
ソマリアは、内線が泥沼化して治安は荒れ放題。もはや国家としての体裁をなしていないが国際社会からは国家として承認されている。ソマリランドはソマリ人の伝統的な各氏族の長老たちに率いられて暮らすという手法のもと成り立った国で民主的だ。しかし国際社会からは承認されていない。


常識だけで判断できない珍妙な国や地域

ピトケアン島
→18世紀後半、イギリスは黒人奴隷を使いカリブ海西インド諸島の開拓を進めていたがアメリカ独立戦争が勃発、食料供給が途絶える。そこで、イギリスは南太平洋の島々に生えるパンの木西インド諸島へ運ぼうとした。バウンティ号にそれを指示。タヒチパンの木を積んだ。しかし西インド諸島へ向かう途中、水兵たちが反乱を起こし船長と乗組員をボートで追放してしまう。反乱水兵達はタヒチへ戻ったが当時反乱を起こした水兵は死刑だったため、タヒチ女性12人と男6人でバウンティ号を出港たどり着いたのがピトケアン島だった。島についてから、証拠隠滅のためバウンティ号を燃やして沈め自給自足のサバイバル生活へ入るが女を巡るトラブルで奴隷のようにこき使われていたタヒチ人が水兵を殺し、今度は水兵がタヒチ人を殺し水兵同士で殺しあい、18年後生きていたのは女10人と子供23人、男はイギリス人ジョンただ一人だった。
ジョンは意外にも温厚な男で子供達に持っていっていた聖書から英語を教えていた。

スバールバル諸島
→日本人が海外で暮らすときは、その国の許可が必要だ。しかし、このスバーバル諸島は自由に居たいだけいても良いしお店を開いても構わない土地。ビザなしで行ける。北極でノルウェー領だ。
住民もいて、ロシア人、ウクライナ人、ノルウェー人だ。ロシアやウクライナ人の町はソ連崩壊で補助金が無くなり食料供給もままならないが、ノルウェー人町は学術活動の拠点があり観光客で賑わっている。格差の激しい島でもある。

クチビハール
→インドとバングラデシュにまたがり、飛び地が入り乱れている。飛び地に住む人は学校へ通えず病院にも行けず、かなりの不便を強いられていたが飛び地を結ぶ道が出来たが自由に行き来できるとはいえ、時間を区切ってインド人通行タイムとバングラデシュ人通行タイムがあり、そのタイムでなければ待たなければならず不便。しかし40年以上の交渉でようやく実現した。しかし2015年飛び地は解消、住民は宗教のことなる相手国の国籍を取るか本土へ移住するか選択することになった。

ジブラルタル
→スペインの南端にあるイギリス領。砂州で繋がるが砂州を横切り滑走路があり飛行機が離発着するたび踏み切りのような遮断機がおりる。

アンドラ公国
→フランスとスペインの国境地帯のピレネー山脈にある。フランス大統領とスペインのウルヘル司教が共同統治していた。昔EUが無かった頃は関税のかからない公認密輸ルートだった。しかしEUになり密輸のうまみは無くなったが、この国は消費税がなく、観光産業が盛ん。アンドラ人は聡明で狡猾と言われている。

プガンダ王国
→今のウガンダにあった王国。ウガンダはプガンダにちなんだ名前だ。肥沃な土地ウガンダには、白人たちがやって来る前からブニョロ王国、プガンダ王国、トロ王国、アンコーレ王国などがあった。
イギリスがイギリス東アフリカ会社に統治させようとしたがイスラム教徒が多いブニョロで激しい抵抗に遭い征服できず、軍事支出がかさみ採算に合わなくなり保護領として残すことにし、他の王国も残されることになった。やがて独立運動に火がつき、各王国を擁したまま、ウガンダとして独立した。しかしプガンダ王国も他の三王国も廃止された。

マルタ騎士団
→国が独立するためには領土、国民、主権が定義されているが領土を持たないのに104ヶ国と外交関係にあり国連総会にもオブザーバーとして参加している国がある。それがマルタ騎士団だ。十字軍の遠征でヨーロッパ各地から騎士が集まり、ヨハネ騎士団として公認された。それから紆余曲折を経て、マルタ島を領有していた頃にマルタ騎士団と呼ばれるように。しかしマルタ島に、ナポレオンの軍が上陸すると島を明け渡す。こうしてマルタ騎士団は領土を失ったが国家としての地位はヨーロッパ主要国から承認されている。今はイタリアのローマ本部ビルに拠点を置いている。


かつてはあった珍妙な国・地域

ビアフラ共和国
→現在のナイジェリア東部に二年半だけ存在していた国。部族同士の争いに列強が参加。大国の支援により戦闘がエスカレートし、ビアフラは各地に拠点を移すも次々に陥落、補給も絶たれて住民の間に飢饉が広がり約200万人が犠牲になったといわれている。部族間の争いの原因は、かつて奴隷貿易である。まずは海岸沿いのイボ族がヨーロッパ人の奴隷の標的になるが、やがてイボ族はヨーロッパ人と手を結び自ら北部の奴隷狩りを行いヨーロッパ人に売り渡すことをしていたので、他の民族から黒い白人といわれ嫌われていた。

パキスタン
→今のバングラデシュのこと。ヒンドゥー教のインド、イスラム教のパキスタンに分かれていて、東パキスタンパキスタンの飛び地だった。イスラム教徒が多いという理由だけで同じ国だったが、もともと民族も言語も歴史も異なるので色々なことで不満が高まりベンガル人の国という意味のバングラデシュとして独立した。

ローデシア
→今のジンバブエにあたる国だが、イギリスから独立したジンバブエは認めても、ローデシアという国は公式には無かったことにされている。スミス首相率いるローデシアはイギリスからの総督を追放。黒人361万人に対し白人22万人で南アフリカにあったアパルトヘイトを実行したが南アよりゆるく、白人と黒人のセックスはOKだし大学入学も平等で黒人に参政権もあった。ローデシア取り巻く周辺の国々は最初は良かったが次第に雲行きが怪しくなる。アフリカの国々がヨーロッパから独立していった。すると周辺のアフリカ諸国も独立運動が高まりローデシアの白人男性はその度に兵役に駆り出されヘトヘトになり、ついに実権政権を諦めた。首相に就任した黒人ムガペが白人と黒人の共存した国づくりをしていたが、ムガペは次第に独裁色を強め白人議席を廃止、白人農地も接収。エイズや干魃が流行り外貨獲得源のタバコ栽培も低迷、超スーパーインフレになりジンバブエ経済は急速に悪化。失業率は94%になり治安もトップクラスだ。

シッキム王国
→インドと中国に挟まれてネパールとブータンがあるが、その間に張り出しているインド領のところ。1975年までシッキム王国があった。シッキムはニンマ派チベット人によるチベット仏教国だったが、チベット側とは微妙な関係。チベットはシッキムを属国とみなしていたが、シッキムは政治的に独立を保っていた。その後タージリンとシッキムに目をつけたイギリスによる支配が確定しネパール人の移住を奨励。タージリンもシッキムもネパール人の人口が七割強に。インドがイギリスから独立したのち、シッキムへも侵攻、シッキムはインド領となった。

サラワク王国
→密林を進む探検隊が不意に矢や槍の嵐に襲われ生け捕りのまま先住民の村へ連行され、そこで殺されかける寸前に鏡を太陽に向け光らせると先住民が神だ、と崇め始める→白人王へ。
ジェームズブルックは東インド会社の社員の子。幼少期イギリスで過ごし成長して東インド会社へ。父の遺産で帆船ロイヤリスト号を買いアジアへ冒険の旅に出た。シンガポールからサラワクのラジャ(藩王)へ届け物を頼まれサラワクへ。そのときサラワクからジェームズに、サラワクの藩王の悩み、ダヤク族の反乱に対する平定を頼まれる。
平定後、藩王の座を約束した。そして平定しジェームズは藩王となる。その後イギリスの保護国へ。その次に即位したチャールズはサラワクよりイギリスを好み、サラワクにいるのは冬の半年間のみだった。しかし賢王だった。太平洋戦争を経てサラワクはイギリスの植民地となった後、マレーシア連邦の一部になった。


北ボルネオ社領
→現在のマレーシア、サバ州のこと。ボルネオは17世紀からオランダ、次いでイギリスが進出して争う。しかし1842年の協定で北部はイギリス、南部をオランダが支配することで合意。
当時米華商会という農園を作ろうとしていたアメリカ人が失敗、それを引き継ぎイギリス人フレッドが北ボルネオ全体の租借に成功し、イギリスの保護領となった。露骨な植民地的搾取が行われた後、太平洋戦争勃発、日本軍が占領。日本が敗戦しイギリスへ戻された。その後サバ州としてマレーシアに。しかしサバ州サラワク州はマレーシアの中でも高度な自治権を持つためマレー半島サバ州サラワク州を行き来するときはマレーシア人でもパスポートが必要。

大東諸島
アホウドリの絶滅危機が生んだ日本の会社統治領。もともと無人島だったが、明治政府に様々な開墾願いが出されたが周囲は断崖絶壁、船で向かっても上陸出来なかった。そこへ玉置半右衛門が大東島へ開拓移民を上陸させることに成功。半右衛門は元々鳥島アホウドリを片っ端から捕まえて羽毛で大儲けしアホウドリは絶滅危機へ。
半右衛門は鳥島を漁業中心に変えたがその漁場を探しているとき、この大東島を見つけた。南大東島でサトウキビの栽培をはじめて、北大東島でサトウキビと燐鉱石の栽培をはじめた。島の住民は三種類に分かれピラミッド型の階級社会だった。最上位が玉置商会の社員、その下に親方という八丈島出身の人、最下層は親方に雇われた出稼ぎ労働者だった。
島では玉置商会が行政運営を行い郵便も玉置商会主導。島民のサトウキビは売り先が玉置商会のみで、玉置紙幣という紙幣でサトウキビ買い上げ代金も労働者への賃金もすべて玉置紙幣で支払われた。日本円へ変えるには玉置商会の事務所で交換しなければならず、労働者が島から逃げ出すのを防ぐ効果もあった。他の本で大東島について読んでいたが、この本でより知識を得られた。

絶海の孤島より
http://minako614i37milkyway.hatenadiary.jp/entry/2018/07/28/155440


ニューヘブリデス諸島
→19世紀頃、イギリスとフランスの商人や宣教師が相次いで上陸し、支配権を争うように。そこで英仏両国は1878年にニューヘブリデス諸島の独立を尊重するという覚書をかわしたが、現に島にいるのは先住民の部族社会と白人の農園や教会があるだけで政府は存在せず無政府状態だった。しかも島民には当時 食人という文化があり、人肉は豚肉より美味とされていた。販売目的の人間狩りや人間の飼育まで行われた。フランス人が島民に殺される事件が起こるとフランス人が島に警察が無いから、ということで上陸。イギリスはこれに違反だと抗議した。1906年には英仏両国はニューヘブリデス諸島を共同統治領とした。かくして、各島にはイギリスとフランスの警察や学校が別々にできた。なので英仏以外の住民達は自分の好きな政府を「マイ政府」として選択できた。自分の選んだ政府に不満があっても乗り換えることもできた。周辺の島々が相次いで独立するなか、ニューヘブリデス諸島はイギリスとフランスの文化や政治が入り乱れていたり英仏両国の思惑もあり独立が遅れた。

中立地帯
サウジアラビアイラクの国境とサウジアラビアクウェートの国境に、かつて中立地帯があった。もともと砂漠で不毛な土地で、定住者は海岸付近やオアシスに住む人々だけであり、これにヘドウィンと呼ばれる年中移動を続けている遊牧民がいた。移動を続けていれば支配できない。中立地帯は土地を分断せず権利を半分ずつ持つとされた。しかし後に油田が発見される。中立地帯には国際村が次々誕生したが、サウジアラビアクウェートは、金が絡むので国境をハッキリさせようということになった。サウジアラビアイラクも、この中立地帯をハッキリさせた。割を食ったのは日本で、日本の資本による中立地帯の自主開発油田として石油の安定供給源を無くしてしまった。

ダンチヒ自由市
→領主に代わって市民が自治を行う都市。中世ヨーロッパにはいくつも存在した。第一次世界対戦で負けたドイツは本国や植民地を割譲させられたが、なかでもポーランドとの間には様々な領土問題が発生した。ポーランドへ海の出口を与えたために東プロイセンはドイツから切り離され飛び地に。ダンチヒもドイツから独立し自由市とされた。しかし中世と違うのは大国の狭間で都市国家になるのは存続が危ういとのことで国連保護下での自由市なったこと。
ポーランドが多くの特権を持った。ダンチヒはドイツもポーランドも不満な存在だった。ドイツにとってダンチヒの喪失は屈辱。ポーランドにとっても海への出口を与えられると言われながら肝心なダンチヒは得られなかった。ポーランドに与えられたのは港も無ければポーランド内陸部と結ぶ鉄道もない役に立たない海岸線だった。そこでポーランドは自国内にグディニア港を建設、自国の輸出入をここで取り扱うようにした。このため次第にダンチヒ港の取扱量は減り衰退してしまう。ダンチヒ側は抗議しポーランドは自国貨物の半分はダンチヒで取り扱うことを約束したが、その後も高価なものはグディニア港、安い割にかさばる材木や石炭などはダンチヒへという状況が続き、ポーランドダンチヒの関係は次第に悪化。市民の間でドイツへの復帰を求める声が高まった。ドイツでナチス政権が始まるとヒトラーポーランドダンチヒの返還を要求。これが拒否されドイツはポーランドへ侵攻。第二次世界大戦が始まる。戦後ダンチヒポーランド領になりグダニスクへと名前を変えた。

パナマ運河地帯
→小学生の大疑問という池上彰氏の本で小5くらいから知ってはいたが・・・パナマ運河地帯は1999年までアメリカの租借地だった。アメリカがここを狙っていたのはパナマ運河が完成するよりも60年も前のこと、パナマ横断鉄道が開通したときからだった。当時はアメリカの東海岸から西海岸へはロッキー山脈を越えるよりパナマへ船で向かい、パナマ横断鉄道で太平洋へ出て、また船でカリフォルニアへ向かう方が安全かつ大量輸送に適していた。アメリカにとってパナマ横断鉄道とその沿線は自国の大動脈のようなもの。自国と同じように支配させろと思っていた。パナマ自体アメリカが運河を建設するために独立させた国でもあった。かつてはスペインの植民地だったが、コロンビアが独立しパナマもこのコロンビアに含まれていた。パナマも独立を宣言するが、コロンビアに脅されたり説得されたりで独立を断念していた。パナマ運河は最初にフランス人レセップスが着工していてアメリカは権利も得ていたので苦々しく思っていた。しかし四割掘ったところでレセップスの会社は破産、工事は頓挫。そこでアメリカはレセップスの会社を買い取ってコロンビア政府と交渉、コロンビアは認めない。その頃パナマでは独立を求める反乱が起こり、パナマは独立を宣言。アメリカは新たにできたパナマ政府と運河条約を結び永久に租借することを認めさせた。こうしてアメリカの手で着工され第一次世界大戦勃発直後完成した。
パナマからしたらスペインやコロンビアから独立できたと思ったらアメリカに実質的植民地にされているわけで、パナマ100年の歴史はアメリカから主権を取り戻す闘いの歴史でもあった。パナマパナマ運河返還を国際問題化させることに成功し運河地帯からの撤退をアメリカに認めさせた。

満鉄付属地
→日本の私鉄沿線の中に○○王国とつくものがある。鉄道、バス、デパート、遊園地、不動産など鉄道会社が地域経済を支配しているところ。かつて鉄道会社が市役所まで運営していた地域があり、それが満鉄付属地。戦前の満州にあった鉄道会社であり日本政府が株式の半分を持っていた。
最先端の技術を結集して走らせた『あじあ号』が有名でこの地域は絶対的かつ排他的な行政権が認められていた。ここに最初に鉄道付属地を作ったのはロシア。シベリア鉄道からアムール川以北を走ると遠回りになるので満州を横断してバイカル湖沿海州を結ぶ鉄道の建設を計画した。ロシアはこれを清朝に対して自国の領土と変わらないようにしてしまった。その周辺地域も鉄道の利用促進のため、と付属地にした。

日露戦争でロシアに勝利した日本はロシアか大連の租借地を得るとともに鉄道も獲得。戦争中に日本が建設した安東~奉天の鉄道も満鉄に加えられた。ロシアからは更に満鉄付属地も引き継いだ。満鉄付属地は実質日本の植民地のようなものになったが満州事変で関東軍満州国を建国すると満州付属地はやっかいな存在となった。
満州国はたくさんの利益を出したが日本の傀儡国家みたいなものになり国際社会から非難をあびた。満州国は最後まで日本のご都合主義のまま消滅した。


ホームランド
→究極の人種差別が1994年まで続いていた南アフリカアパルトヘイト。白人と有色人種は法律で居住区を分けられていた。列車やバスの座席、レストランも分けられ結婚はおろかセックスも禁止だった。
日本人は金持ちなので名誉白人という、名誉か不名誉かわからない立ち位置にいた。中国人は有色人種だが中華料理は美味しいので中華レストランを白人用にしたので中国人は中華レストランに入れなくなり抗議した。その結果中国人は中華料理店に限り名誉白人になった。
アパルトヘイトの目的は少数の白人が政権を独占し多数派の黒人を支配するためのもの。黒人に選挙権を与えないようにするにはどうしたか。それは南アフリカに住む黒人を部族ごとに作ったホームランドに移住させホームランド南アフリカから独立させて、外国人なんだから南アフリカ国民としての政治的権利は無し、とするもの。南アフリカの国籍を剥奪された。こんなホームランドを認める国は南アフリカ以外はなかった。国際社会からも非難をあび、経済制裁も受けた。その流れでアパルトヘイトもなくなった。
なお、ナミビアにもホームランドが存在していた。

つい25年ほど前まで、こんな国が存在していたとは驚き。名誉白人のことは小学生の社会科の授業で聞いていたが、このことだったんだな。

世界には色々な国があったんだな。