部屋は自分の心を映す鏡でした。

部屋は自分の心を映す鏡でした。

部屋は自分の心を映す鏡でした。

感想
・いつもごちゃごちゃして居心地悪い
・片付け、掃除ができていなくて何だか汚い

↑これは私も私の部屋に関して感じていたこと。週一で掃除機をかけたり、ガラクタなどの不要品はこまめに捨てたりしているが、それでも何かしっくりこない。
この本によると、部屋と心の悩みは密接につながっているそうだ。

インプットしたこと
・著者は引っ越し業者だった。たまたま離婚物件を三件受け持ったが、どこも部屋が荒れ放題だった。自分の部屋もそれ以上に荒れており愕然とした。
そこから空間心理カウンセラーになり、部屋と心の関係について研究を深めていった。

・部屋が汚いから悪い、ではなく、なぜそんな状態になったのか、を知るのが大事

・捨てる、磨く、循環させる(循環させることはやや出来ていると思う。本は売りに行くし服はリサイクルに出すし。) 

・空間がなくなると心のゆとりもなくなる

・片付けは「今、ちょっとだけやる」
・完璧をもとめない。気が向かなくてもやる

・夢みる気持ちが散らかった汚部屋をつくる
・やりたいこと探しをやめてみる
・やりたいこと探しのループから抜け出す
・苦手なことに取り組むと、こだわりが抜け視野や心のキャパが広がる
・自分には「ない」と思うから、モノを取り込む
・自分を大切に出来てないと身の回りのモノの扱いも雑になる→ドキッとした言葉。
・自分が「こうしたい」という明確イメージがない
と痩せられない→痩せる云々は私は今のところ、気にしていない

・人は無意識に今の自分に合う服を選びやすいため、古くて合わないものは処分し、ワンランク上の服を、試着しに行く
・女優気分でワンランク上を演じてみる
・床や天井もきれいにする

・足りないスキルを埋める本でいっぱいはNG
→自分に必要ないことは何か?と考え方を変える
・自分への無理や無駄を片付ける

アウトプットしたこと
・引っ越してきたときのまっさらな部屋を思い出す→引っ越してきたときは、二回あるが、一回目の新築だったときの部屋の様子は思い出せない。二回目、転勤で三年半ぶりに帰ってきたときは、ガラクタ荷物でいっぱいで、それをどけて掃除して、今の部屋に落ち着いたな。

・どんなに散らかしても怒らない部屋に感謝

・クローゼットのよく着る服と着ない服の違いは?
→よく着る服がほとんど。(服自体、少ない)
→よく着ない服は、スーツ2着、紺の花柄刺繍入りアンサンブル
着ない服について。紺のアンサンブルはサイズがぴちぴちな気がする。スーツは会社に着ていくと、一人だけフォーマルにならないでください、と注意された記憶がある。→人目を気にしているみたい?

・よく着る服は本当に着たい服か?
→服が少なすぎてヘビーローテーションだ。5年前、6年前の服も平気で着てるし、ヨレヨレスカート、お尻の生地が薄くなったスカート、毛玉セーター、着てるなあ。。。あとお古も。。。服を買うのに無駄使いはしない(というか買わない)が、自分の場合は、もう少し服にお金をかけていいと感じた。(今が服に興味なさすぎて、無頓着すぎる。服についての本は買うのにな。)

・本棚について、自分の足りないものを埋めるための本はある?
→おおいにある。足りない自分を見続ける結果になっていたとは・・・!

・身近な人に伝えたい本はどれ?
→最近出た本全般、相手が興味ありそうな本

・捨てれないなら増やさない
→実践中。断捨離を進めると下手に物が買えない。ただし自分の場合、本だけは例外。

・自分ができないと思っていることを書き出す
→人前で緊張してうまくしゃべれない
→気分がのらないと進まない
→不安だから一歩踏み出せない
→高度な検定試験の合格
→難しい数学の勉強
→不安だから海外の一人旅できない
→高度なプログラミング
→恥ずかしいからプレゼンテーションができない
→恥ずかしいから声を張ることができない

↑書いたものを「感情」「行動」に分ける
→人前で緊張 うまくしゃべれない
→気分がのらない 進まない
→不安 一歩踏み出せない
→高度 数学の勉強
→不安 海外の一人旅
→高度 プログラミング
→恥ずかしい プレゼン
→恥ずかしい 声を張ること

↑できない行動を「できる」にくっつける
→人前で緊張するからこそ今よりもっとうまくしゃべれるチャンス
→気分がのらないからこそ進めてみる
→不安だからこそ新たな一歩を踏み出す
→高度だからこそ数学の勉強をやる
→不安だからこそ海外の一人旅の凄みを知るチャンス
→高度だからこそ可能性が広がるプログラミングにチャレンジ
→恥ずかしいからこそプレゼンテーションを鍛えるチャンス
→恥ずかしいからこそ声を張ってしゃべってみる

・モノを全部出し、磨いて戻す
→定期的にやるが、結構大変。
・レイアウトを変える
→模様替えも定期的にやるが、行き詰まっているときにやると少し気分がマシになる程度
・部屋を自分色にする
→自分で作った作品ばかり飾っている

・床の雑巾がけ
・マイナス感情を全て紙に書き出す→ビリビリに破いて捨てる

・蔵書の全体像を把握
→なぜこの本を買ったのか?自分にどう役立ったのか?を考える

あなたの「そこ」がもったいない

あなたの「そこ」がもったいない。

あなたの「そこ」がもったいない。

耳の痛い本だったな。

インプットしたこと

スマホよりつまらない女
・女子会はブス会
・実家暮らし事務職のありのままの痛さ
・芸能人のスッピンはスッピン風メイク
・かわいい服を着たブス、華やかな爪をしたオバサン
・おひとりさまのサービスは、ついにソロウェディングのサービスまできてしまった。

・キャリアは行動して自分でつかむ
・ニコニコする。笑っているつもりでも、相手からはそう見えない。スマイルトレーニングをする。
・図々しいぐらいで丁度いい。

・20代の服、30代以降の服、30代以降の人が着ない方がいい服について

・髪の手入れは丁寧に→クーポンを使い、毎回違う美容室に行く人は髪の扱いが下流の人

・わたしが使うだけだからいいや、というボロボロのものはすぐ捨てる

・クローゼットの整理整頓を心がける

アウトプットしたこと
・靴のかかとはすり減ってませんか?
→ややすり減り・・・

・バッグ大きい、または複数のカバン持ってませんか?
→大きくはないが、複数のカバン持ち歩いてた!

・洋服や服のサイズ合ってますか?
→きちんと採寸したことはない。

・手抜きのメイクではありませんか?
→イエス

・手抜きの服装ではないですか?
→イエス・・・

・褒めても喜ばないことはありませんか?
→イエス

・数年前流行した服を着ていませんか?
→イエス・・・

・髪がプリンですか?
→NO

・継続できない自分のだらしなさを自覚していますか?
→イエス・・・

・ノベルティや雑誌の付録は捨てる→捨てた
・ランジェリーを採寸して買う→買った

・ブカブカ服の可能性チェック→あてはまったもの→ボトムやスカートのウエストに両手を差し込むことができる
→スカートを履いて歩くとファスナーの位置がズレる
→ニットなどのトップスは腕をまくって着る
→XSや5号の試着をしたことがない

ふたりのロッテ

ふたりのロッテ (岩波少年文庫)

ふたりのロッテ (岩波少年文庫)

小学生の頃に読み、今までずっと取っておいた本。
今読み返してみると、小学生の頃とはまた違った味わいがあった。

林間学校に南ドイツから参加するため、ロッテはバスから降り立った瞬間、目を見開いた。既に林間学校に到着していたウィーンの学校から参加のルイーゼもまた、新しい仲間のロッテの顔を見て驚き、見つめた。
二人は取り違えるほど、よく似ていたからだ。
二人は最初こそ、ルイーゼがロッテにいじわるして仲良くなれないが、二人は同じ部屋になり、次第に仲良くなっていく。こんなに似ているのでせっかくだから写真を撮ることにし、村に行きアイベルダウアーさんという写真家に写真を撮ってもらう。

そしてお互いの親のことを尋ねるが、ルイーゼは母のことを覚えてないが写真で見たことがあるといい、ロッテも父のことを知らないという。その流れで、二人は生まれた日にちも、生まれた場所も同じでロッテが母の写真を見せたら、ルイーゼの母と同じだということが判明する。 

もうすぐ10歳になる二人は、休暇の終わりまでにお互いの暮らし向きや様子を徹底的にたたきこみ、それぞれのうちへ帰ることにした。つまりルイーゼはロッテになって母のもとへ、ロッテはルイーゼになって父のもとへ。
困ったことがあれば手紙で相談という約束のもと、二人はそれぞれ旅立った。

このあとが面白い。二人はお互いの生活に慣れるのか、お互いの性格になりきれるのか。いつバレるのか。ルイーゼになりきるロッテには気が重いことがあった。父に新しい恋人ができそうなのだ。
これを邪魔するロッテ。最初にルイーゼが母にバレるところが一番印象に残っている。

9歳。二人ともよくこんな冒険したな、と思う。 でもやってみる価値は充分にある。この二人にしか出来ない冒険だと思った。後に劇団四季がこの演目を行ったみたいだが、見てみたいと思った。

坊っちゃん

坊っちゃん (角川文庫)

坊っちゃん (角川文庫)

「最強の読み方」で紹介されていた、夏目漱石の書いた本。日本人でこの本の知識がないと、「読んでいないあなたが悪い」と言われてしまいかねないそう。
読んでみた感想→
読みやすい、とは言えなかったけれど、ところどころ引き込まれた部分があった。

親父からは出来損ない扱いをされ、兄とは仲が悪いが、唯一面倒を見てくれていた清(きよ)という同居の下女からは可愛がられていた。卒業後、清とは別れ、四国で教師として働くことになる。そこでは、田舎暮らしのため、やることなすこと田舎中に筒抜けだったり、教え子や教師たちの嫌がらせやら策略やらを受けまくり嫌気がさすが、江戸っ子らしく立ち向かっていく。最後は意気投合した山嵐という教師と作戦を練って・・・というようなお話。


何が本当で何がウソか、真実を見抜こうと思っても頭のまわる人物からの策略だと分かりにくいな、と思った。また、ウワサとかこの人がこう言ってるからそれは真実だろうとか、うのみにするのもこわいな、と改めて思った。

サッと読んだため、理解度が最高5とすると、私のは3くらい。あだ名と本名を合致させず読み進めてしまった部分があるので、今度読む機会があったら、ちゃんと合致させながら読もう。

本当に必要なものはすべて「小さなバッグ」が教えてくれる

本当に必要なものはすべて「小さなバッグ」が教えてくれる (ミニマムリッチシリーズ)

本当に必要なものはすべて「小さなバッグ」が教えてくれる (ミニマムリッチシリーズ)

インプットしたこと
・ものを売る側は大量生産でファストファッションなど次々作る、買う側はどんどん買う、どんどん捨てる→買い物中毒へ。著者は物の飢餓状態であるとき、フランスの絵本「ルリユールおじさん」に出会い救われる。 

・人間関係でも、簡単に始めて、簡単に終わるような、サイクルが短いものを繰り返していくと、なかなか人としっかり繋がれないという不安定な感覚になる。

・時間の経過に耐える一流の品は、愛情のバトンが受け渡せる(祖母の使っていた手入れのされた一流の品を孫娘も大事に使う、など。)

・あってもなくてもいいもの、は買わない。10000円のバッグ10個より、これと見定めた10万円のバッグ一つを。

・買い物に行くときはフルメイクで行く。フルメイクに似合う服、合っている服がすぐわかる。(休日のラフな、化粧っけのない姿でドレスやスーツやビジネスシーンの服を試着しに行っても分かるわけがない)

・一流の店で試着する。(一流の着心地がどんなものか分かる)

ZARAのバレエシューズは走りやすい。

・靴も履き心地とフィット感を重視。

・コートについて、「人に着せられること」に慣れているお客様は、腕を羽のように後ろ斜めに下げ、着せてくれる人に背を向けるのでスムーズ。

・エレガントな人は、たとえ焦っていても、「ながら作業」はせず、ひとつひとつの動作が丁寧でひとつの物事を着実に片付ける。→この時間を大事にし、今を味わう。

ドキッとした言葉
・花を育てられない人は人も育てられない。
・ものを修復できる人は、人間関係も修復できる。

アウトプットしたこと
・頑張りすぎる女性は、バッグが大きい人が多い傾向にある→小さなバッグに変えた。


既に知っていて実践中のこと
・20平米で月々10万なら、一平米あたりの床は5000円という考え方→既に知っていて、ものを買うときの参考にしている。

・クローゼットに余裕があり、服などの品物の特性がパッと見でわかる
→実践中。持ち服が少ないため、朝の服選びの時間は5分もかからない。
しかしこのあとの記述、物が少ないと丁寧に手入れする、とあるが、そうでもない。

・近頃はものとの関係だけでなく人間関係なども早い段階でリセット、自らゲームオーバーにする人が多い
→耳が痛い話で、ここ数年何度かリセットしてしまったり、されたりしている。あんまり気分のいいことではない。

・バーゲンで手に入れるもの
私の場合は、下着などの消耗品だったが、この本にはそれに加え、前から欲しかったもの、高いから買えなかったもの、とある。
そして、既に実践中だが、福袋は買わない。

・一流と一番下の店に行ってみる→ありがたいことに新入社員時代に、「江戸前寿司」に連れて行ってもらったことがある。確かにお店にお寿司を握ってくれる人がいて、今日はこの魚をこう食べると美味しいよ、といって出してくれた。
回転寿司も何度か行ったことがあるので違いは分かった。確かに江戸前寿司のお店はホスピタリティに溢れ、プロとしての技が光っていた。

・一回あたりの値段を算出する→実践中。この靴はおそらく一年に150日は履くだろうから一回あたりの値段は大体・・・

・バッグの中の整頓。今日は何をする日か?もしもの物は本当に必要か?と自問自答しながら進め、バッグを分けて持つ。

・立場にふさわしい筆記用具を使う
→ビジネスシーンにふさわしくないキャラもののボールペンを使っていたが、シルバー製品の光沢の輝きのあるボールペンに変えた。

・ヘアブラシも猪の毛のものを買いに行って既に持っていた。シャンプー前のブラッシングがいいこと(頭皮の毛穴の汚れも猪の毛のブラシなら優しく掻き出す)も知っていたが、最近やってなかったな。

・化粧ポーチは一年で取り替える→これは他の本で読んでいて知っていた。二年前から実践中。

日本につけるクスリ

日本につけるクスリ

日本につけるクスリ

小泉内閣時代、経済財政政策担当大臣・金融大臣大臣・総務大臣だった竹中平蔵さんと、1987年生まれ・東大に学生かつ教員として在籍・社会問題の現場を学ぶ旅行を提供する会社を立ち上げた安部敏樹さんが日本の問題について対談している本。

対話形式なので、読んでいて分かりやすかった。
また日本の今の問題に、どう取り組むといいか、どう考えればいいか、ということに対して一側面の解答例を出してくれている本だとも思う。

インプットしたこと
・アルゼンチンはかつてフランスやドイツより裕福な国だったこと。

・イギリスは昔、経済は衰退し社会は荒れたイギリス病(福祉政策で国が全て面倒を見ていたため怠惰になった)と呼ばれる時期があったこと。

・日本はGDPが1996年は世界三位だったのに2014年は20位まで落ちていること。

・このように十数年前と現在では変わる。全ての国は今過渡期。

・現状維持をよしとしたままでは日本は必ず貧しくなる。

竹中平蔵さんの、「川を上り、海を渡れ」の考え方・「何が問題なのか?」の考え方。

・税金には応能負担(所得税など)と応益負担(ゴミを多く出す人が多く負担)の二種類がある。

・なぜ日本にはスラムが存在しないのか。
→階層の固定化により発生していく可能性はある。

・アメリカ史を勉強する上でフロンティアの意義について必読書があるが、今世界中で「グローバリゼーションのマーケットのフロンティア」と「デジタル革命の技術のフロンティア」が等しく生まれている。
・新しい格差はフロンティアによって生じている。

・日本の大臣は国会が開かれている間、国際会議に行けない。

・地方のシャッター通りの商店街も全体をデザインしコンセプトを打ち出し魅力的になれば、買い物客も足を運ぶ。

・地方には「お殿様」が既得権益を牛耳っているため、若者など機会を与えてもらいにくい。

・メディアは「○○を苦しめていいのか!!」の論調。

・日本には無いが、アメリカや、イギリスなど、ジャーナリズムを育成する公的機関がある。

記者クラブ制度、例えばBBCが日本の総理大臣にインタビューするにしても、この記者クラブがOKしないとだめ。「自分たちを通せ」とはおかしくないか?
・プライムタイム・アクセスルール(電波を独占せず、他の製作会社の番組をゴールデンタイムに流さなければ行けないというルール)によって、ハリウッドや韓国の映画産業が発展した。

・アメリカでは25歳以上の人でも働いて、大学行って、働いて、大学・・・を繰り返す。そうしてマクロの視点とミクロの視点をバランスよく持つ。

・日本がデジタルで勝てない理由について→工学部のハードウェアの教授の席が中々空かないから。

・日本のGDPが下がると何が問題か。想像する。例えばGDPが下がると日本市場の相対的位置の低下だよ、それはiPhoneとか映画とかが入ってこなくなるということだよ、というところまで説明する。

・戦略的に。政策は「世の中を五センチ前に進める」ためにある。どの戦略でいくか。ドミノ倒しのように最初の一手を見極めるのが大事。例えば、Uber(ウーバー)やAirbnb(エアービーアンドビー)。 シェアリングエコノミーは取引履歴がそのまま信用として貯まるが、このウーバー等は、タクシー業界はもちろん、クルマ業界、その先の駐車場の不動産、玉突きで色々変わる。

ビットコインフィンテック(金融技術)。ユーザーのやり取りで信用が貯まる仕組み。これはすごい。

・空き家は国がカウントしてるほど、多くはない。
外から見て「あれは空き家っぽいな」となれば空き家でなくても空き家としてカウントされる。

・先見の明がありすぎるのも、今現在では目に見えにくいため分かってもらいにくい。

・外国人研修制度の実態はひどい。ブラック企業みたいなところも。

・難民申請を待つ人々の入国管理センターの収容所は刑務所みたい。それにクルド人よりミャンマー人が比較的認定されやすい。偏りがあるのでは?

・日本では25歳以上の男女の夫婦でなければ特別養子縁組が認められないが、アメリカでは同性愛の夫婦や独身でも養子を迎え入れられる州がある。

高齢化社会になると将来の割引率が高くなる。つまり生きている可能性の低い将来より、今が大事。そのため高齢者に優しいバラマキの政策がバンバン通る。高齢者に限らず人類は今の代で終わりとなれば皆心置きなく使いまくるだろう。

・早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいなら皆で行け

アウトプットしようと思ったこと
・川を上り海を渡る、つまり歴史を遡り世界を広く見る目を持つ。(歴史と世界を参考に)

・法律チェック。
(安部さんは仕事柄旅館など泊まるところについてエアーアンドビーにも関係する旅館業法など法律チェックしている。今その法律の特別区として認定されているにも関わらず腰が引け参加しない自治体がいる。これを活用してるのは大田区大阪府だけ、という情報を法律チェックによって知っていた)

僕の見た「大日本帝国」

僕の見た「大日本帝国」

僕の見た「大日本帝国」

サハリン(樺太)の南半分に台湾、韓国、北朝鮮ミクロネシア、中国の東北(満州)など。戦前・戦中のアジア太平洋地域概略図を見ると大日本帝国の領土がこんなに広かったとは驚かされる。

これらの、かつて大日本帝国だった土地を筆者が訪ねる本。

インプットしたこと
☆サハリンについて
・サハリンには日本語を話す朝鮮族の人々(ただし訛りはきつい。)がいて、鳥居までも残っている。

・サハリンには、稚内発のフェリーで行けるが、パスポートとロシアのビザが無いと入れない。

樺太・千島交換条約のあと、ロシアはサハリン全島を流刑植民地として利用していた。その後1989年まではソ連の極東軍事拠点で一切の外国人の立入は禁止されていた。

・筆者はサハリンで出会う人がほぼ日本語が通じることに驚いていた。
・サハリンに残された日本人の生活は、ロシアの秘密警察に目をつけられ面倒だった。
サハリンは今でも物騒。

☆台湾について
・まず沖縄県与那国島。戦前・戦中は与那国島の人々は、ここから110キロ~160キロの一番近い当時日本の大都市の台北など、台湾へ学校に仕事に船で出ていた。(台湾航路は1日の船便が5~6回あった。)
今、与那国島の人が台湾へ行くには、まず石垣島那覇に戻り、そこから船か飛行機になる。

・現在、石垣島から台湾の基隆までフェリーが出ている
→台湾は行ったことがあったがフェリーがこの航路を、結んでいたのは知らなかったな。

・ごちゃごちゃした建物、林立するビル群の隙間の漢字の看板、おびただしいスクーターの群れ、アジアの喧騒の中。セブンイレブンやスタバなどもある。コンビニの中には日本のお菓子も沢山売られている。吉野家三越、そごうもある。台湾の人々は親日的だ。「日本」があちこちで垣間見れる。日本語も通じたりもする。また、「日本統治時代」にこだわりをもち、当時のものを守っていこうとする人が現役で存在する。
→台湾には何回か行ったことがあるためリアルに想像できる。上記の記述はその通りだった。

・台湾にも神社跡や鳥居が数々残る

・台湾には3つも名前を持つ人がいる。日本統治時代の日本名、中国名、そして高砂族(原住民タイヤル族)の名。

・勤勉で正直、約束を守るといったことを台湾では「日本精神」と呼ぶ。

・台湾の離島の一つ、「蘭嶼島」に住む人はフィリピン北部の少数民族と通訳なしで話せ、正装はフンドシ。この島でも日本語が通じる。

☆韓国について
対馬から。対馬は古くから大陸との関係性が深い。江戸時代には対馬藩の大名、宗氏が幕府と李氏朝鮮の両方に仕えていた。朝鮮半島が日本の植民地だったときは、対馬から就職先を求めて釜山に行くのはもちろん、映画に、買い物に釜山を日帰り往復するが当たり前だった。
現在は韓国からの観光客に合わせた船便スケジュールの釜山からの船を待つと、対馬から行ける。釜山からの船か来るかどうかは韓国次第。悪天候などですぐキャンセルになるため、筆者は1週間粘って乗れた。対馬から釜山へは船で二時間半。近いのか遠いのか。

・韓国語は聞くと日本語の単語のようなものが聞こえてくる。ウドン、ワリバシ、タクアン、ヨウジ、ヒヤカシ(冷やかし)、ケイサン(計算)、オヤブン(親分)、ベントー(弁当)等

・瓦屋根の日本家屋もところどころあれば、ポン菓子を作る実演販売もある。

・筆者は試しに80代ぐらいのおじいさんに日本語で声をかけると、通じた。日本統治時代のことを話始めたが、発音が正確で非常に分かりやすい日本語だったそう。

・韓国は反日の意識が高い国だが、筆者は韓国人に韓国語で話しかけると、結構親切な対応を受けたそう。しかし日本統治時代の話を聞かせて、というとどうなるか。
日本統治時代の日本人街だった辺り。70代のおじいさんが何やら、ただならぬ雰囲気で詰め寄り筆者に話しかけてくる。勢いが止まらないが何を言っているのか?筆者は韓国語で「僕は日本人ですが」と言ってみた。すると勢いが更に増し、こめかみに血管が浮き、殴りかかってきそうな勢いになり話し方は絶叫になった。
日本のせいでどんなひどい目に合ったか、思いの丈を絶叫し続けた。その後落ち着き、涙をためて哀しそうにしていた。そしてまた思いの丈を語った。思いの丈をぶちまけてスッキリしたのか、「韓日友好!」と握手を求められた。

・韓国にも神社が74つあったが、ほとんどの神社が燃やされたり壊されたりしている。日本統治になる前からしっかり統治されていた韓国に無理矢理日本の統治が始まったので、台湾とは事情が異なる。筆者は巨済島にはまだ神社跡があるかも、とのことでその島の神社跡を訪ねたが、本殿はなく鳥居は折られチェーンソーのようなもので切り落とされているような跡があった。

・韓国には日本統治時代から今も、ラジオ体操と授業開始時の「気をつけ」、「礼」もある。

・筆者は日本からは行けない竹島へ、韓国のクルーズ船で行き、韓国人が竹島愛国心を表現するさまを見た。筆者は船上の800人全てが敵に見え、疎外感を感じ落ち込んだ。

北朝鮮について

・在日朝鮮人系の企画するツアーに参加したが、やはり観光するところも「北朝鮮が見せたい場所のみ」で事前にびっちり決められ、ガイド兼通訳の二人が常に張り付く中で巡ることになる。

・日本語堪能な通訳の30代の北朝鮮人に歴史や政治ことや他の場所に行ってみたいと言っても、黙りこむか、時間がないのでダメですと言われる。

・日本からおさがりと思われるパチンコ台、ボーリングレーンがあった。そして日本人旅行客が忘れていった乾電池などの品々を大切そうにケースに入れられ売られている場面も。

・人々の生活は田植えを手作業、道路を作るのも手作業、ブリキの粗末なお弁当箱を何人かが回して食べている様子、かなり食糧難だという様子が垣間見れた。どうしてそうなってしまったのか、歴史も書かれている。

☆旧満州国について(中国・大連など) 
・大連は歴史からしてロシアと日本が威信をかけて都市づくりをしたとあり、頑丈で威厳のある風格。

・中国人は実利的。統治時代の日本が作ったものでも政治的以外なものは使えるものは使おうという考え方。

・神社は壊されたが塔は日本人が酷いことをした「証拠」としてそのまま。

・戦時中、おびただしい犠牲のあった虐殺の地帯や万人坑という死体の捨て場とかが見学でき、そこには本物の人骨が類類と葬られもせず積み重ねられ展示用として使われている。その人骨を使って、この人はこう頭に穴を空けられた、とか説明されたりする。

・大連神社という神社は下関に再建された。

満州国だったところの果て、ノモンハンへ向かう旅の様子(ハイラルから阿木古郎を経由)

南洋群島について(ミクロネシアパラオ)など
パラオ、コラールの1931年の市街図には、「二見タクシー」「あづまや」「ギオン」「サクラ」「不二屋」といった、日本人商店街があった。

パラオは1943年25000人もの日本人とパラオ人6000人が住んでいた。終戦で全ての日本人は命令で日本に帰った。(現地の妻子を残して、というケースも。)
・今でも日本語の単語がそのまま使われていたりする。
・ナカムラとかナカモトとか日本名みたいな名前を持つ人も多い

・日本が引き上げたあと、変わりに統治したアメリカによって急速にアメリカ化した。

ペリリュー島ではアメリカとの戦いで一万を超える日本兵が亡くなった。今、ぺりりゅー神社という真新しい神社が島民の手により建てられている。

・チュークも日本人が30000人も住んでいて民家や店で埋め尽くされ、空き地が殆んど無い密集した地域だった。