マイナス50℃の世界

マイナス50℃の世界

マイナス50℃の世界

マイナス50℃の世界とは。その様子を20年前にテレビ局が撮影した様子が書かれている本。

インプットしたこと
・この北半球で最も寒いヤクートの土地には江戸時代、船乗りの大黒屋光太夫という人が太平洋での嵐にあい、漂流によって足を踏み入れている。

・取材班がロシア(当時はソビエト連邦)のヤクーツクに到着したときこの地方にしては暖かいマイナス39℃だったが、鼻毛もまつ毛も凍ってしまい、顔を出していられないほど、痛い。

ヤクーツクは北極より寒い。ヤクーツクのヤクート人は黄色人種で日本人の顔立ちに近い。

・マイナス40℃になると、「居住霧」という霧(人間や動物、排気ガス、工場の煙などがことごとく凍ってしまって出来る霧)ヤクーツク市内の撮影は難しい。

ヤクーツクの家は傾いている。永久凍土地の二万年前の氷河期の氷の上に1,5メートルの氷の層があり夏になると、この表面の氷が溶けるため家も傾く。建物は50年ももたない。パイプは地表にむき出し。凍結、解凍を繰り返すため修理しやすい。

・高層建物も建てられるが、永久凍結にくいを打ち込み解凍を繰り返す層を通り越して建てるため、くいは地面にむき出し。そこでベニア板などでそれを隠す。地盤のくいは隙間に塩水を流すと、たちどころに凍る。

・「冬将軍は、川や湖に橋をかける」ロシアの古いことわざ。冬になると、ヤクートの多くの河や湖に氷が張り、はじめて通ることが出来る。

・穴を掘れば天然冷凍・冷蔵庫の出来上がり。

・実は雨が少なく干ばつ地帯だが、この氷が夏に溶けるおかげで草木が生い茂る。

・炭坑の坑道も、トンネルも土壌凍結のため支えの必要なし。

・休日の趣味は狩りか釣り。釣りはレナ川で。氷の穴を手動ドリルで開け、糸をたれる。刃を研いでないと上手く穴が開かない。穴を開けるとき勢いよく水が出る。この水に顔を近づけて飲料水にすることも出来る。穴の中の氷の玉をすくう作業を絶えずして、魚を釣る。釣った魚は10秒しないうちに凍る。

・スキーやスケートやタイヤにスタッドレスをつけるのは春先、氷が溶けだした頃。冬は寒すぎて氷は滑らない。

・凍傷は恐ろしい。金属は皮膚に食いつく。
マイナス48℃。襟を高くしてマフラーを目の下まで隠し帽子もすっぽりかぶる。10分も外にいられないので、車の中に逃げ込む。鼻の頭、頬に白い斑点が出来るが、これは凍傷。白い斑点が消えるまでよく揉む。そのままで暖かい部屋に入ると白い部分が黒く変色し転げ回るほど痛いそう。
鉄や金属にも決して触れてはいけない。瞬間やけどで皮膚にくっついて離れなくなる。

・8ヶ月は氷に閉ざされた冬、1ヶ月は春という名の解氷期、2ヶ月の夏、1ヶ月の秋という名の結氷期。夏は日中38℃まで上がる。気温差が激しい。

・村では男性は肉体労働に、女性は頭脳労働に従事。極寒の大自然の中で働くのは男の人でないと勤まらないため。そのため村長や、村長助役、会計士、獣医、幼稚園の園長、小学校校長など頭脳労働は全て女性。

・ビニール、プラスチック、ナイロン、合成樹脂等の石油製品はマイナス40℃の世界では通用しない。どれも外に出るとカチコチに凍ってひびが入り、ちぎれたり粉々になる。そのため頭のてっぺんからつま先まで全て天然の棉か毛皮になる。そのためこの地域の人は毛皮を見ただけで、獣の名前を当てられる。またどの獣のどの部位をどこに使うといいか、もよく知っている。

・ヤクート語の起源はおそらく中央アジアやトルコ。ヤクート語にラクダ、象などの言葉があり、冬を知らない花咲き乱れる土地で、陽光が降り注ぎ草木は枯れない、家畜は星の数ほど、という叙事詩もある。

・ヤクートは意外にもソ連第二の長寿国だった。(モスクワの湿気を含んだ風の吹くマイナス33℃の方が体にこたえるらしい。ヤクートはマイナス50℃だが乾燥して風がない。)

この本を読んで自分なりに考えたこと、新たな疑問

・寒いから凍る→滑る→スキーやスケートという発想は日本ならでは。寒すぎるとそれも通用しない、やっぱり「常識」にとらわれないでいきたい。

・どうして、ヤクート人は昔この極寒の地に追いやられたのだろう?そしてこんなに寒いのに長寿である理由は?今現在の暮らしは?
この寒い中でも通用する石油製品は最新の技術等で作れないのだろうか?