被災ママに学ぶちいさな防災のアイディア40

被災ママに学ぶちいさな防災のアイディア40

被災ママに学ぶちいさな防災のアイディア40

この本を読んだ感想は
とにかく一瞬の判断が命取りになると実感した。もし津波の来ている海側へ車を走らせていたら、筆者は、一歳の息子さんを津波の危険にさらしていたことになる。

インプットしたこ
・2011年3月11日、筆者は運転中に被災した。ガソリンを入れようという正に3分前ほどで、後々困った。ガソリンは日頃から満タンにしておこう(残量が二分の一になったら入れにいく)

・保育園に預けていた一歳の息子さんは無事だったが、海近くの会社に勤める旦那さんの無事は確認できず、車で息子さんを連れ旦那さんを助けに行こうとした。↑このときの判断が後の人生を左右する。もし海側なら間違いなく津波に巻き込まれていた。山側の道を走ったが、そもそも危険に晒している。

・震災直後の津波情報は当事者たちには入ってこない。防災車も何言ってるか不明瞭。

・結局、一夜明けると、旦那さんは家に帰ってきた。そのとき、まだ流し台の水道水は出た。のちに長いこと断水するので、どうしてこのときに貯水しておかなかったのかと筆者は後悔する。

・断水してから、雪が役にたった。降って積もった雪を浴槽に入れて解かしてから、トイレ用の水などに使用した。

・魔法瓶が役にたった。お湯を提供してくれる場所に持っていき、魔法瓶に入れたので温かいミルクを赤ちゃんに飲ませることができた。

・おむつは、買い置きしていたため助かったらしい。近所ママたちが、オムツやミルクを求めてウロウロしていた。

・スーパーは空いていても現金のみの取り扱い

・スーパーは空いていても生鮮食品などの品質が保証できないものは売ってくれない。よって物資の少ないなか、魚などはトレーで売り場にズラッと置かれたままだった。

・たらいが役にたった。

上下水道の早い復旧のため、下水を流してはいけなかった。→使った水は、庭に捨てていた

・カセットコンロがあったので温かいものが食べられた。

ミニマリストは何を考えているのかと、最初は思ったが、考えてみれば地震の際にモノがなければモノが散乱することもなく安全だ。

・震災後、過剰に防災グッズを揃えてしまったが必要最低限で充分。


ふたたび感想へ
2011年3月11日、地震の時、わたしは大阪で、エレベーターの中にいた。エレベーターがグラグラ揺れて、一緒に乗り合わせていた女性が、このエレベーター、さっき壊れていたらしいですよ、怖いですね。と言った。
わたしは目的の六階に着いたとき、すぐにその女性(もっと高層で降りる予定の女性だった)にも降りましょうと言って、六階で二人で降りると、同僚二人が柵につかまり、地震や!地震や!大きいほうやで!と叫んでいた。
そのまま事務所に行くと、誰も仕事よりもインターネットで情報収集にあけくれていた。慌ただしい様子を伝える東京からのメールは、怖さを物語る。
中にはサーバーの無事を確認するため、ヒールで階段を駆けずり回った人もいたらしい。
プリンターが飛んできた人もいたらしい。
東京からのメールは、怖そうなものばかりだった。
そののち、東京の同期からもメールがきて、帰れなくなったので会社に泊まることになったとのことだった。広めの会議室を二つ確保して、男性用と女性用で分けたとのこと。

私達は、東京から来ていた同僚と3人で晩御飯に行くことにした。

今でも思う。確かに筆者の言う通り、東京以北の人は、肌で怖さを感じている。経験している。

大阪にいた私は、確かに地震慣れしてないから震度3~4でも怖かったけど、東京以北の人たちほどではなく、防災に対する熱意の差はある。

そのあと、ニュースなどを見て更に怖くなった。
3月21日、友達と台湾に旅行に行く約束を半年前からしていたので、とりあえず行くことにすると、関空は外国人でごった返していた。原発事故の起こった日本からとにかく離れたいということで、国外へ出る飛行機がほぼ満席のように感じた。
私達が乗る飛行機も台湾行きだが、台湾人は勿論、台湾人では無さそうな方々が乗り満席だった。
台湾の空港につくと、放射能チェックゲートがあり
日本から来た人はここを通りぬけないとダメだった。

台湾のホテルでは、台湾のニュースと中国のニュースとNHKBBCが入った。台湾のニュースは温かい感じで日本に支援を!と呼び掛けており、中国のニュースは大袈裟に日本は終わった!というようなニュースで、BBCは日本の原発事故とカダフィ政権が崩壊したニュースを同じくらいの大きさで取り上げていた。NHKが当事者の国なのに一番落ち着いて淡々とニュースを読み上げていた。

台湾で日本に対する恐ろしいニュースばかり目にすると帰りたくなくなった。でも台湾でもタクシードライバーとかに日本人だと言うと嫌な顔をされたりもした。それから日本人だというだけで優遇してくれた店もあった。

とにかく帰ろう。初台湾はどんよりした気分のまま終わってしまった。このとき、私も友達も、台湾、もういいや、もう行かなくていいよね、という気になりその後2014年まで行かないことになる。
2014年、他に行きたい友達に付いていくとかなり楽しい魅力たくさんのとこがあり、やっぱり行った時期が悪かったなと思う。