うれしい手縫い

うれしい手縫い (読む手しごとBOOKS)

うれしい手縫い (読む手しごとBOOKS)

私の裁縫箱の本の隣に平積みしてあった本。こちらも何度か考えて、やっぱり欲しいと手にした本。付録にダルマの赤い糸が付いてるよ。

糸さえあれば
クロスにカーテンに白いハンカチに、靴下の綻びを直したり、シャツにシミが付いたら、そこにステッチをしたり、なんでも出来る。

おしゃれな服も糸さえあれば素敵にできるし
はぎれをポーチにすることもできる。
手縫いでボタンをとめることもできる。

松野屋
松野きぬ子さん

雑巾ワークショップを開き、参加費無料で雑巾をザクザク縫うイベントを開催している。参加者は主に若い女性。家に裁縫箱がないという人も少なくなく、とまどう人々にやり方を教える。しかし雑巾なので、色も自由、粗くてもOK、どこから縫ってもOKというスタンス。みんなで好きに縫っていく。

この方は雑巾ではなく「あづま袋」をオススメ手縫いとして紹介していた。(この本では各章の最後に、オススメの手縫いを図つきで説明してくれているコーナーがある。いわば、レシピ。)

デザイナーの成瀬文子さん。
「星縫い」をご存知でしょうか?との問いに私の頭に「?」がとぶ。星縫いって何だろう。
成瀬さんによると洋服の襟ぐり、ポケット口など、しっかり止めたい場所に施す手縫いの一技法らしい。表側の針目が目立たぬよう、糸を引き締めて返し縫い。その糸目が星形に見えることから星縫いというらしい。

工場見学
ダルマの糸ができるまで
ダルマの糸は滋賀県伊吹山山麓と京都紫野のダルマ糸製造工場で作られている。

朝8時。がしゃんがしゃんと機械が動き始める。細い単糸が紡績工場から届くと機械で束ね、ねじって太さと強さを出す。
糸に強度を持たせる工程で、大きな糸玉に糸が一斉に巻かれていく。
次に糸をガスの火であぶり毛羽を焼く。糸の表面が毛羽立つと布に通すときに使いにくいので縫い良い糸にするために欠かせない工程。
機械は昭和40年代のものだが、よくできていて、よく働くらしい。

ガスで焼いた糸は、染色の工程へ。
糸を染めるためにはまず糸を真っ白にする。この工程では糸を苛性ソーダでふっくらさせることもする。
白くした糸を染色する。染料室では湿度も温度も徹底管理されており染料の調合は全て手作業。基本3色から染める。
染料の調合も毎日微妙に変わる。耳掻き一杯で10カセ分染まるものもあれば、一キロの染料でようやく染まるものもある。
グレーと茶色が調合が難しい。

染料を測った人は白糸を触らないというのが鉄則。
次に糸繰りとカード巻きへ。
かせからひたすら巻き直す。ここが新人の登竜門となる。

樋口愉美子さんは刺繍作家。
頭の中で想像した世界を、刺繍にして、表現していく。提案するのはダルマの図案とダルマのブローチ。作り方が書いてある。

デザイナーの大橋利枝子さんは布が好き。リネンのふくさ包みを提案。不思議なことに、ものすごく忙しく疲れていたのに、家に帰って作ったら、物凄く楽しかった、というほど手縫いが好きな方。


同じくデザイナーの月居良子さん。
作りやすいのに着てみるとモードでおしゃれ。考え抜かれたデザインが人気の方。縫い目もセンスの火とつ、とのこと。この方はリネンのキャミソールの作り方を提案。

手縫いの糸の種類
手縫い糸は主に、素材と太さで分類する。素材には綿や絹、合繊などがあり、布と同じにするのが馴染みがよい。

糸の太さは「号数」と「番手」。号数は撚り合わせた糸の本数を表す。→数が大きいほど太い。
番手は単位重量あたりの長さを表す。→数が大きいほど細い。
薄い生地には細い糸、厚い生地には太い糸がよい。

榛にも種類があり、和針と洋針(メリケン針)がある。和裁は直線縫いが基本で洋針より長く、針先が細く作られている。和針は針穴が丸く洋針は細長い。


さて、芦屋のcheck&stripeという生地・手芸材料店にも行ってみたい。ここでのオリジナルお裁縫箱と、スタッフが使っている、C&Sと書かれたイカリマークのメジャーも欲しい。ここが提案するのはミシン用ピンクッション。ミシン針の号数スタンプが押してあるのが可愛い。


DARUMA THREAD 誕生。SyuRo主宰の宇南山加子さん。ダルマの糸はうちの裁縫箱にも入っていたとダルマ家庭糸の横田さんと盛り上がる。糸をギフトにの考えから、ダルマのオリジナルキットが生まれた。カード巻きでなく、玉巻きにしているところが可愛い。ベビーソックスのキットも可愛い。また、印刷のズレまで再現したダルマのまち針のサンプルも可愛い。全て欲しくなってしまった。


この本に載る、ダルマ糸 パッケージギャラリーの写真集もいい味を出している。右から左に読むダルマ印カタン糸の箱など箱類の写真から、明治時代のカード巻きのカード、ダルマの家庭糸の特色サンプル品、ダルマのまち針、糸セット。良い感じだ。


YAMMA縫製メンバーの皆川みゆきさんは受注が入ったら縫うという仕事をしている。お針子さんがつけたボタンは取れにくいと発見。あと仕上げに「きりびつけ」をしている。本縫いの前にしつけ糸を縫い渡し、縫い目だけ残してちょんちょんと切る「切りびつけ」。チャコペンと違い印が消えずミシンをかけてる間も布がずれない。だから仕上がりがキリッと美しくなる。この方は言う。昔の人は何でも手作りだった。
会津木綿のはぎあわせポーチの作り方をこの方は載せている。

藍染め作家の鳴海友子さんのページは小学生のお孫さんとのやりとりが印象に残る。針を教えるおばあちゃんとしての鳴海さん。良い感じ。

最後はダルマ糸企画チームのページ。このチームは玉止めいっぱいのハンカチの作り方を載せていた。


最後の最後のページに小さな裁縫箱作りのすすめが書いてある。
私の裁縫箱に有るものも無いものもあるけど、もし必要になれば揃えたい。

この本では針と糸と縫うことや作ることについて書かれていた。この本にも私が欲しいと思っている中村好文さんデザインの裁縫箱が載せられていた。
最後に赤い糸が付録に付いてる。
私はお裁縫というよりはデザインやグッズに興味がわいた。

私の裁縫箱

書店で見かけて気になっていた本。何回か考えやはりほしいと購入した。

帯に有る
何でも買えてしまう世の中だからこそ手作りの良さがある
に共感。
アクセサリーや服にあまり興味がわかない私も、アクセサリーを色々作り始めたが、自分の作ったものなら興味がわくし、どのようにして作ったかがわかるため、その物自体の弱いところや壊れても直せるところなどがよいと思う。
また服を作ってる人、アクセサリー作ってる人の作品にも興味がわく。

最近、針と糸を持ったことがありますか?
というこの本の問いに対して。

→あります。ボタンとれたら針と糸でさっと直せます。チクチクチクチク、確かに一針ずつ。いつも仕事で高速回転してる私とは大違いだ。
手作りは、ゆっくりしか進めない。

この本では色々な方の裁縫箱が紹介されている。

井上アコさんの面白いところはライブ刺繍といって子供が描いた絵をそのまま刺繍にしてしまうところ。
この方は、五歳ぐらいのときから針と糸を持ち、遊んでいて、あるとき人形の布団を縫うと、何かが違う。お母さんに縫ってからひっくり返してね、と言われ、魔法を見た気がしたらしい。それからパタンナーになりたくて服飾の学校に入学したとのことだった。あるときフランスで、子供がいない人が子供が子供服を縫っていて、子供がいなくても子供服を作っていいと気がついたそう。

布作家の石川ゆみさんは、木工作家の井藤さんの作ったシェーカーボックスを裁縫箱がわりにしている。あとはマドレーヌの空き箱にレースや糸を入れている。この方、設計図は無しで手を動かすなかでいい形を見つけていっている。家のカーテンなども手作りとのこと。

刺繍作家の大塚あや子さんは、客室乗務員をやっていた。刺繍作家として教室を開いたのは55歳のとき。どんな細切れ時間にも針を持てるよう携帯用裁縫箱を準備している。ナンタケットのバスケットやアンティークのシルバーケースが彼女の裁縫箱に。

モデルでイラストレーターの香菜子さん。
飾れる裁縫箱として、木工作家の友人が「引き出し展」に出展した作品の中から「A」の引き出しを選び、Aの形をした引き出しの中にボタンや針などをしまっている。無印の引き出しも裁縫箱にしている。この方の言うように、「これ、どうやって作るんだろう?」という考え方が私にもマッチしている。

この本にちりばめられた働く道具のコラムも面白い。
針、ピンクッション編の
靴型、どんぐり型、猫が蓋で寝てる型のピンクッション、かわいいし面白い。
まち針を赤と白で統一してる人も。

アトリエオーナーの中山則美さんは、アメリカに買い付けに行ったときに見つけた1950年代の古いバスケットを裁縫箱にしている。蓋に貝殻があしらわれている。この方は真鶴半島でスクランプシャスというオリジナルウエアとアンティークの店を一ヶ月に数日だけオープンしている。ご主人と二人で手掛ける。縫製を手掛けるのはご主人。則美さんは手縫いを手伝う。


イラストレーターのmitsouさんの裁縫箱はきれいな空き箱いくつか。シルバー缶が基本らしい。
この方はハンカチにポイント刺繍をしたものをサイト「みつのあはれ」で発表している。必要なものはそんなに多くない、目に触れるものが心地よい暮らしを、というのがこの方のモットー。

クリエイターのRARI YOSHlKO さんは、ガラスのふた付き入れ物(標本箱)を裁縫箱にしている。しまって美しい箱を裁縫箱に、とのこと。那須高原にアトリエをオープン。

私がほしいと思った裁縫箱は中村好文さんがデザインした裁縫箱「MEME」


最後の章はおばあちゃんの裁縫箱。
71歳の鈴木照美さんは義母が使っていたボタン入れのミルク缶を今でも相棒として使う。作ったものは大切に使うようにしている。

80歳の富永ちか子さんは娘さんが使っていたプラスチックの裁縫箱を採用。

75歳の松井タズ子さんは50年以上前からある木の小引き出しを裁縫箱がわりにしている。

91歳の村山ふさえさんは車のシートを縫う仕事を手掛けてきた。空き缶の裁縫箱にポンポン何でも入れている。

最後のページに色々な方々の色々な裁縫箱が写真付きで紹介されていて面白い。
お菓子の缶やプラスチックの箱、裁縫箱として作られた裁縫箱の人もいれば空き箱の人や、お弁当箱を裁縫箱にしている人もいた。

さて、私は?といえば
未だに小学生のときに家庭科の授業でいると言われ買ったベーシックな水色と青の裁縫箱である。小学生用なのだが、今でもこれを使っている。そろそろ色が褪せてきたので、買い直してもいいかもしれない。

箱覧会

箱覧会

箱覧会

行く書店や、行くお店で何度か目にし、何回か欲しいと思って買った本。

色々な人の色々な箱には様々な物語があった。

料理人の方の箱は、つまようじやら割り箸やら、プラスチックのカトラリーなど。

9歳でデビューした、あーちんはあーちんの理想である手作りの動物が仲良くしてる箱だったり、あーちん独自の配色にしてあるペンケースだったり。

他はこの本で何度も読んでしまう箇所、お蕎麦やさんを2011年に廃業させ、いつのまにか集まってきた電車グッズ、例えば運転席とかつり革とかもあるので博物館みたいにした男性とかユニークだ。
大勝庵 玉電と郷土の歴史館というらしい。行ってみたい。

買える箱もある。この本の表紙にもなるゼリーの詰め合わせは本当に可愛い。果物の形をしたセットにゼリーが入ってる商品もあったり。福島いわき市のゼリーのイエ、ゼリー12個詰め合わせセットのことだが、売り切れ続出だそうで、でも機会があれば買ってみたいな。
北海道札幌市の千秋庵のバイオリンチョコも気になる。同じく検索してみたら売り切れだった。

あとは、タイでは熱でうなされてる様子のハンコが作られていたり、メキシコではピニャータというインパクト大の人形があったり。
ユニークな水縞ショールームnombre(東京都杉並区)に行ってみたいと思った。
また、HAND & SOUL(神奈川県鎌倉市)も気になるし、東京都千代田区のCo(コー)も気になる。
このコーは、世界の美しいブローチという本の中でも紹介されていた。

ON SUNDAYSのSERROTE Crate BIue &White(東京都渋谷区)も見てみたい。サバイバルツールがおさめられていて冒険心をくすぐる。

日本の伝統的な手作りの箱があるかと思ったら、草木の樹液を箱に重ね塗りすることで、よい味わいにしていく箱などもある。

箱が印象的な映画『グランド ブダペスト ホテル』も気になるな。

大人の旅じたく

大人の旅じたく

大人の旅じたく

旅が好きな私に母が貸してくれた本。
どうしたらもっと旅が楽しめるか、アイデアがちりばめられた本だった。

自分らしく旅の計画を立てよう
旅に出るタイミングとは?
→私の場合は、土日か三連休か長期一週間休みかかな。

旅の計画の立て方
マイルを買い物で貯める方法もあるな。500円玉貯金もいいね。

行き先は自由→当たり前だ。
旅のテーマを決める→決めたことなんかないよ。計画をざっくり。

勉強すれば世界は広がる→勉強しておけば、助かったことならあった。スペインで、にせ警官がパスポートを見せろと言ってくるが、もし本当の警官ならパスポートかパスポートのカラーコピーか見せないとダメなんだけど、日本人である私にはスペインの警官が偽物か本物かなど分からない。
なので、パスポートのカラーコピーを準備しておいた。やはり偽警官が近寄ってきた。カラーコピーを見せると残念そうだった。→本物のパスポートを見せると盗まれて、スペインでは良い値で取引されてるらしい。。。
それもスペインに行く前にスペインに関する本を読んでおいたおかげだ。

情報の確認。
→綿密に計画を立てると、旅は濃密なものになる。例えば、台湾で阿里山に行きたかったが、その際に新幹線や特急の時刻表を確認したり、阿里山鉄道(一時間に一本という時刻表)を確認したりして、もし乗れなかった場合のサブ計画も作成して行ってみた。雨だったり、人が多くて満席だったり、乗り逃したりもしたが、サブ計画のおかげで慌てることなく台湾の阿里山には行けた。

旅ノートについて
→この本で推奨してる旅ノートなど、つけたことがないな。台湾の旅日記を気ままに中国語で書いてみた、というのはあるが。

地図づくり
→これは台湾旅で助かった。地図に行きたいとこを全て書いておき、近いとこ同士で旅の計画を立てるとスムーズだった。

お互いに無理しない
→一緒に行く人とホテルの部屋が一緒だから気を使うよね、という問題。お互いの行きたいとこをバランスよく行くので大体は大丈夫だ。たまに別行動をすることもあった。

一人旅について
→今年5月に初めての一人旅に出た。行き先は中国。国内でもやってみてもいいかもしれない。

個人旅行
→団体にはない魅力は、全てを自分達で決められるところ。もし上手くいかなくても次の手次の手を考え、まるでゲームみたいだ。

賢い航空券の手配の仕方
→時間があまりよくないパターンだと安い場合がある。友達が手配してくれたのは、Peachを月曜日出発、金曜日に日本に帰ってくるパターン。お盆だったにも関わらず、土日をはさまず、事前に申し込んでおくと往復三万円ぐらいで行けた。

ホテル
→失敗したな・・・と思ったのは一拍600円の上海のホテル。明らかに誰かの部屋だったところが、誰も長い間使ってなく、埃がすごい。トイレも汚い。その部屋で寝た私も友達も次の日、喉がイガイガしていた。安いとこは良くないかも。

メインバックの選び方
→この本で色々推奨してるが、自分の使いやすいものでよいと思う。

パッキングの仕方
→面白いな、と思ったのは山登りの本に書いてあることと少しだけ違うところ。重いものは下に、というのが旅行の基本らしい。

旅の持ち物
→私が海外ならいつも持っていくのは変圧プラグ。
この本に書かれてあって成る程と思ったものは、

・軽量ボストンバッグ
・プチプチ、マスキングテープ
・ハサミ
ジップロック
・瓶用緩衝材

あとは、まああっても良いかも?と思ったもの
・文庫本
・トラベル用アロマオイル

この本で紹介されてた持ち物リスト
・腕時計(二都市の時間を表示するものなら尚良い)
・メガネ
・文庫本
・軽量折り畳み傘(薬局に売ってる700円前後のものがオススメ)
・エコバッグ
・厚手のソックス
・ハンカチとティッシュ
・アロマオイル
・アルコール除菌シート
・常備薬
・マスク
・絆創膏
海外ならそれプラス→→→
・ワイヤーキー
・変圧プラグとたこ足プラグ
・マルチツール
・パスポートケース
・お財布に見えないポーチ財布
・ドイツのチューブ式洗剤
・着圧ソックスと脚用シート
・エアピロー
・サンダル
あると便利なもの
・S字フック
・お箸とカトラリー
・ペンとメモ
・旅の指さし会話集
・軽い水筒
・圧縮袋
・ビューティーアイテム

喜ばれるお土産物がこの本に色々書かれてあった。
その中で食べてみたいもの
・銀座ウエストリーフパイ
福砂屋手作り最中

旅のトラブル
持っていくもの
・飲む機会の多い薬
・マスク
・のど飴
・旅行保険と問合せ先
・ポカリの粉
・お守りの三万円

旅の服装
→この本にも色々書かれてあったが、目的によると思う。参考になったのはドレスアップのときのワンピや靴、それから小物を多目に持っていき、小物で演出する、というところ。ワンピでなくても上下線同じような色のものを準備しておけばよい。

あとは、パジャマについても書いてあった。
→わたしの場合だが、日本のホテルに泊まるとき、浴衣が準備してあるときがあるが、浴衣を着て寝ると、はだけるため、パジャマというかジャージを持っていく。あとは着古したパジャマを持っていき、旅先で捨てる、ということもよくする。

この著者の
北欧で見つけたアイテムだとか北欧のユースホステルでの出来事とかベトナム旅行の話だとかベトナムのお土産紹介、北海道の夏フェスの話なども楽しかった。

名古屋の話
著者は名古屋で色々なお店やお土産を見つけたが、私がほしいと思ったのは、熱田神社の「旅行守」

著者のファイリング
恐れ入りました。行ったとこや行き先リストなど、全てファイリングしてるそう。確かにこれをしておくと、次にまた行きたくなったときや、自分の行きたいとこリストなどサッと取りだして旅の計画も旅自体もスムーズになりそう。

中国語会話301上

新訳第3版 中国語会話301(上)

新訳第3版 中国語会話301(上)

なめるようにやりきった本。各課最後まで、隅から隅まで目を通し、ドリルも三周ぐらいした。中国語の基礎をやるのに充分な本。

ディクテーション(聞き取って書いていく練習)もやったが、毎回新しい発見がある。当たり前だが、一回目よりも二回目、三回目のほうがスラスラ頭に入ってきた。

声の感じが温かい中国人がいて、聞いていてほっこりする。留学生という立場の人はややゆっくり目でしゃべってくれる。
早口の人もいる。

人名や地名の聞き取りが難しい。
旧金山(サンフランシスコ)なんて聞き取れず、メジャーな名前の地名でも中国語になると難しいかな、と思ってしまった。

やりきれてとても嬉しいので「301下」の方も復習していこうと思う。

被災ママに学ぶちいさな防災のアイディア40

被災ママに学ぶちいさな防災のアイディア40

被災ママに学ぶちいさな防災のアイディア40

この本を読んだ感想は
とにかく一瞬の判断が命取りになると実感した。もし津波の来ている海側へ車を走らせていたら、筆者は、一歳の息子さんを津波の危険にさらしていたことになる。

インプットしたこ
・2011年3月11日、筆者は運転中に被災した。ガソリンを入れようという正に3分前ほどで、後々困った。ガソリンは日頃から満タンにしておこう(残量が二分の一になったら入れにいく)

・保育園に預けていた一歳の息子さんは無事だったが、海近くの会社に勤める旦那さんの無事は確認できず、車で息子さんを連れ旦那さんを助けに行こうとした。↑このときの判断が後の人生を左右する。もし海側なら間違いなく津波に巻き込まれていた。山側の道を走ったが、そもそも危険に晒している。

・震災直後の津波情報は当事者たちには入ってこない。防災車も何言ってるか不明瞭。

・結局、一夜明けると、旦那さんは家に帰ってきた。そのとき、まだ流し台の水道水は出た。のちに長いこと断水するので、どうしてこのときに貯水しておかなかったのかと筆者は後悔する。

・断水してから、雪が役にたった。降って積もった雪を浴槽に入れて解かしてから、トイレ用の水などに使用した。

・魔法瓶が役にたった。お湯を提供してくれる場所に持っていき、魔法瓶に入れたので温かいミルクを赤ちゃんに飲ませることができた。

・おむつは、買い置きしていたため助かったらしい。近所ママたちが、オムツやミルクを求めてウロウロしていた。

・スーパーは空いていても現金のみの取り扱い

・スーパーは空いていても生鮮食品などの品質が保証できないものは売ってくれない。よって物資の少ないなか、魚などはトレーで売り場にズラッと置かれたままだった。

・たらいが役にたった。

上下水道の早い復旧のため、下水を流してはいけなかった。→使った水は、庭に捨てていた

・カセットコンロがあったので温かいものが食べられた。

ミニマリストは何を考えているのかと、最初は思ったが、考えてみれば地震の際にモノがなければモノが散乱することもなく安全だ。

・震災後、過剰に防災グッズを揃えてしまったが必要最低限で充分。


ふたたび感想へ
2011年3月11日、地震の時、わたしは大阪で、エレベーターの中にいた。エレベーターがグラグラ揺れて、一緒に乗り合わせていた女性が、このエレベーター、さっき壊れていたらしいですよ、怖いですね。と言った。
わたしは目的の六階に着いたとき、すぐにその女性(もっと高層で降りる予定の女性だった)にも降りましょうと言って、六階で二人で降りると、同僚二人が柵につかまり、地震や!地震や!大きいほうやで!と叫んでいた。
そのまま事務所に行くと、誰も仕事よりもインターネットで情報収集にあけくれていた。慌ただしい様子を伝える東京からのメールは、怖さを物語る。
中にはサーバーの無事を確認するため、ヒールで階段を駆けずり回った人もいたらしい。
プリンターが飛んできた人もいたらしい。
東京からのメールは、怖そうなものばかりだった。
そののち、東京の同期からもメールがきて、帰れなくなったので会社に泊まることになったとのことだった。広めの会議室を二つ確保して、男性用と女性用で分けたとのこと。

私達は、東京から来ていた同僚と3人で晩御飯に行くことにした。

今でも思う。確かに筆者の言う通り、東京以北の人は、肌で怖さを感じている。経験している。

大阪にいた私は、確かに地震慣れしてないから震度3~4でも怖かったけど、東京以北の人たちほどではなく、防災に対する熱意の差はある。

そのあと、ニュースなどを見て更に怖くなった。
3月21日、友達と台湾に旅行に行く約束を半年前からしていたので、とりあえず行くことにすると、関空は外国人でごった返していた。原発事故の起こった日本からとにかく離れたいということで、国外へ出る飛行機がほぼ満席のように感じた。
私達が乗る飛行機も台湾行きだが、台湾人は勿論、台湾人では無さそうな方々が乗り満席だった。
台湾の空港につくと、放射能チェックゲートがあり
日本から来た人はここを通りぬけないとダメだった。

台湾のホテルでは、台湾のニュースと中国のニュースとNHKBBCが入った。台湾のニュースは温かい感じで日本に支援を!と呼び掛けており、中国のニュースは大袈裟に日本は終わった!というようなニュースで、BBCは日本の原発事故とカダフィ政権が崩壊したニュースを同じくらいの大きさで取り上げていた。NHKが当事者の国なのに一番落ち着いて淡々とニュースを読み上げていた。

台湾で日本に対する恐ろしいニュースばかり目にすると帰りたくなくなった。でも台湾でもタクシードライバーとかに日本人だと言うと嫌な顔をされたりもした。それから日本人だというだけで優遇してくれた店もあった。

とにかく帰ろう。初台湾はどんよりした気分のまま終わってしまった。このとき、私も友達も、台湾、もういいや、もう行かなくていいよね、という気になりその後2014年まで行かないことになる。
2014年、他に行きたい友達に付いていくとかなり楽しい魅力たくさんのとこがあり、やっぱり行った時期が悪かったなと思う。

山登りはじめました2

鈴木ともこさんの『山登りはじめました』が絵も可愛いし、文章も楽しそうな様子だったので、二巻も購入してしまった。

インプットしたこと(行ってみたいところ、登山用として持っておきたいもの含む)
草津の湯釜、から釜
・芳ヶ平ヒュッテ
横手山(リフトもスカイレーターも)
地獄谷野猿公苑
常念岳
・燕山荘
・レインウエアがお気に入りだと楽しい
アルプス一万尺の歌の真相
・富士山と八ヶ岳の昔話(樋を通してどちらが高いか競ったお話)
・20万年前は八ヶ岳の方が高かった
宮之浦岳
槍ヶ岳
・雪渓の歩き方
・キックステップ
槍ヶ岳山荘
・ヒュッテ大槍
上高地

シルドライサック
・山スカート
スーパーフィート
ソフトスキンピロー
・膝サポーター
・アクアパック
・フラッドラッシュスキンメッシュ
・SUSUのクイックダスター
・雪用バスケット
・グランズレメディ
・ナルゲンボトル
・グリナ
・瞬間美食カレー

アウトプットしたこと
・荒川登山口出発。屋久島の縄文杉を見に行った。
屋久島の縄文杉道中のトイレ判定
・使うつもりがなくても携帯トイレは持っていく、とあり持っていくことにした。

午前3時起床。4時にホテルのロビーで朝と昼の分二食分のお弁当を受け取り出発。5時に荒川登山口に着いた。かなり寒い。自分の持ってきたウエアも重ね着した。寒いなか、冷たいお弁当を食べた。

5時半頃、本日のガイドさん及び一緒に行く決められたパーティメンバーが顔を合わせた。軽く自己紹介と運動をし、まだ夜が明けない登山口(トロッコ道)を出発した。

最初はひたすらトロッコ道だった。ヘッドライトが役にたった。川などの橋も手すりや柵などなく滑りそうだったが、その後何回も出てくるため、慣れてきて怖くなくなる。パーティに自衛隊夫妻がいるのは、とても心強かった。聞けば前日も別のトレッキングをしてきたという。流石だ。

途中何度かトイレ休憩はあるが、女性はほぼ休憩出来ない。この日は三連休ど真ん中で人が屋久島に押し寄せる日。トイレなんか30分並んでやっと入れる。30分後にはもうパーティは出発する。

時の流れを感じたのは小杉谷集落跡。ここに昔何百人か林業関係の人が住んでいたなんて考えられない。小学校もあったようだ。何か買い出しに行くときはおめかししてトロッコに乗って町まで出ていっていたという。

そのまま奥へ奥へ。雨が体を冷やす。雨がモヤや霧を発生させる。結構ドロドロになりつつ奥へ進む。

途中、大王杉やウィルソン株という見処も通過していく。ウィルソン株はハートの写真を取るために並んでいた。

湧き水を汲めるところもあった。ガイドさんは大量に汲んでいた。

さて、歩き始めて数時間、午後12時半頃、縄文杉に着いた。霧が出ていて、モヤがかって見えた。ベールに包まれて全貌は見せてくれない感じ。それがまた想像力を掻き立てる。

13時。高塚小屋へ到着した。ガイドさんが、ガスバーナー?(山道具でコッヘルというらしい)みたいなものを持ってきており、さっき汲んでいた屋久島の水で、カップ麺を人数分作ってくれた。じゃんけんで勝ったもの順で、私はどん兵衛の肉うどんを選んだ。自分の持ってきた冷たいお弁当もおいしいけど、この温かい麺が有り難かった。高塚小屋は暗いが、このパーティメンバー8人で明るくご飯を食べた。

この高塚小屋近くのトイレは、この『山登りのはじめました2』でトイレ判定で1となっており阿鼻叫喚、目にも鼻にも毒とあるが、覚悟したら大丈夫だった。

帰りの足取りは疲れはあるが軽かった。張り切っていた40代二人の男性が疲れを見せ遅れはじめ、ガイドさんのすぐ後ろに付くよう促されていた。20代女性二人組と自衛隊夫妻、私達も大丈夫だった。自衛隊の男性の方は、40代男性の荷物を持ちましょうか?と声をかけていたのが凄いと思った。

帰りは軽い。屋久島の知識をガイドさんが語ってくれたが、このガイドさんも屋久島に魅せられて数ヵ月前に引っ越してきたばかりで、私達でガイドの仕事としては4回目だと言っていた。

さて、午後5時すぎ。荒川登山口に着いた。雨と汗とで、体が冷えきっていた。疲れで重くなった足より体の冷えが気になった。ホテルまで送迎車が迎えにきており、いわさきホテルへ。
部屋に戻って登山用ウエアなど脱ぎ、すぐに友達と温泉へ。こんなに心から温泉が有り難いと思ったことはない。芯から冷えた体を、温泉で芯から温めた。九州の温泉はやっぱりパンチが効いている。

その後、予め注文しておいたコース料理を堪能した。屋久島の海の幸がたっぷりだった。